52年前の豪雨 ― 2020年07月08日 21時49分
[アサガオ] ブログ村キーワード
*********** クジャクサボテン ***********
朝は小雨だったのが、9時前頃から暴風雨に変わり、昼前まで横殴りの雨が降っていました。まるで台風のような風雨です。長野、岐阜、栃木などで突風や竜巻が発生したとニュースが流れました。
ここ数日、強い風が2~3時間、雨を伴って吹きます。南西の風は、サンルームの前に置いているクジャクサボテンの達を倒すほどの強さです。何度も倒れていますが、花軸が折れることもなく咲いています。
アサガオの蔓が延びてきたので支柱を立ててやりました。2鉢は蔓が余り延びないアサガオなので、50センチほどの長さの支柱です
*********** 長いも ***********
山芋の蔓も強風に煽られています。幸い支柱を深く差し込んであるので、倒れずに済んでいます。
昨年掘り残してしまった山芋が延びて、キュウリ棚のネットにまで絡まってきました。キュウリの方は勢いがなく、山芋の棚になってしまいそうです。
*********** 52年前の豪雨 ***********
岐阜県の飛騨川が大雨による氾濫が起こりそうです。
1968年8月18日午前2時過ぎ、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において生じた土砂災害によるバス事故(飛騨川バス転落事故)が起こりました。乗鞍岳へ向かっていたバス15台のうち2台が集中豪雨により土砂崩れで増水した飛騨川に転落しました。乗員・乗客107名のうち104名が死亡する大事故となりました。
8月16日~22日(7泊6日)、第一回夏季合宿を中部地域で実施しました。初日(16日)は木曽福島駅から地蔵峠を越えて開田高原まで走り、正面に御嶽山がそびえる広い野原でキャンプ泊でした。
2日目(17日)は、台風7号が日本海側を北上中で、出発して間もなく大雨になり、開田村の外れで民家が途切れるところまで来たところ(開田村関谷)で、道路脇に神社にある能舞台のような建物で雨宿りをして様子をみることにしました。雨は昼過ぎには弱まりましたが、これから先は長峰峠を越えなければならず、峠を越えたとしても民家がある地域までは距離があります。関谷の能舞台の屋根のある場所で宿泊し、明日まで様子を見た方が良いと判断しました。午後になって雨が止みましたが、夜遅くなって再び雨が激しく降り出しました。後で分かったことですが、台風7号が北海道沖で温帯低気圧になった後、大陸からの冷たい大気の影響で寒冷前線が日本列島に横たわるかたちとなり、太平洋高気圧の湿った大気が湿舌となって入り込んだため、大気が不安定になりました。夜遅くなって局地的に積乱雲が多数発生し、集中豪雨となりました。
スマホがない時代で、情報が得られるのは携帯ラジオだけでした。停滞した場所は車がすれ違うことが難しい狭い未舗装の、峠へ向かう坂道の途中でした。建物の背後には山が迫り、土砂崩れの心配もありましたが、峠に近く、海抜の高い場所だったので被害に遭わずに済みました。
*********** クジャクサボテン ***********
朝は小雨だったのが、9時前頃から暴風雨に変わり、昼前まで横殴りの雨が降っていました。まるで台風のような風雨です。長野、岐阜、栃木などで突風や竜巻が発生したとニュースが流れました。
ここ数日、強い風が2~3時間、雨を伴って吹きます。南西の風は、サンルームの前に置いているクジャクサボテンの達を倒すほどの強さです。何度も倒れていますが、花軸が折れることもなく咲いています。
アサガオの蔓が延びてきたので支柱を立ててやりました。2鉢は蔓が余り延びないアサガオなので、50センチほどの長さの支柱です
*********** 長いも ***********
山芋の蔓も強風に煽られています。幸い支柱を深く差し込んであるので、倒れずに済んでいます。
昨年掘り残してしまった山芋が延びて、キュウリ棚のネットにまで絡まってきました。キュウリの方は勢いがなく、山芋の棚になってしまいそうです。
*********** 52年前の豪雨 ***********
岐阜県の飛騨川が大雨による氾濫が起こりそうです。
1968年8月18日午前2時過ぎ、岐阜県加茂郡白川町の国道41号において生じた土砂災害によるバス事故(飛騨川バス転落事故)が起こりました。乗鞍岳へ向かっていたバス15台のうち2台が集中豪雨により土砂崩れで増水した飛騨川に転落しました。乗員・乗客107名のうち104名が死亡する大事故となりました。
8月16日~22日(7泊6日)、第一回夏季合宿を中部地域で実施しました。初日(16日)は木曽福島駅から地蔵峠を越えて開田高原まで走り、正面に御嶽山がそびえる広い野原でキャンプ泊でした。
2日目(17日)は、台風7号が日本海側を北上中で、出発して間もなく大雨になり、開田村の外れで民家が途切れるところまで来たところ(開田村関谷)で、道路脇に神社にある能舞台のような建物で雨宿りをして様子をみることにしました。雨は昼過ぎには弱まりましたが、これから先は長峰峠を越えなければならず、峠を越えたとしても民家がある地域までは距離があります。関谷の能舞台の屋根のある場所で宿泊し、明日まで様子を見た方が良いと判断しました。午後になって雨が止みましたが、夜遅くなって再び雨が激しく降り出しました。後で分かったことですが、台風7号が北海道沖で温帯低気圧になった後、大陸からの冷たい大気の影響で寒冷前線が日本列島に横たわるかたちとなり、太平洋高気圧の湿った大気が湿舌となって入り込んだため、大気が不安定になりました。夜遅くなって局地的に積乱雲が多数発生し、集中豪雨となりました。
スマホがない時代で、情報が得られるのは携帯ラジオだけでした。停滞した場所は車がすれ違うことが難しい狭い未舗装の、峠へ向かう坂道の途中でした。建物の背後には山が迫り、土砂崩れの心配もありましたが、峠に近く、海抜の高い場所だったので被害に遭わずに済みました。
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