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義叔母の手術2014年11月11日 10時52分


***** 11月8日(土) *****

先週土曜日(8日)の朝の電話で、義叔母が転倒し骨折の疑いがあると連絡がありました。
 施設の担当者に介護タクシー等の手配をお願いし、病院で診察を受けました。予想通り、右大腿骨が骨折しているとのこと。そのまま入院することになりました。

***** 11月9日(日) *****
 予定では10日に出かけて11日に、毎月の通院で義叔母を連れて行くことにしていましたが、急遽、ホテルやレンタカーの予約を変更し、1日早く出かけることにしました。
 朝、車で三島駅まで行き、新幹線で京都へ向かいました。京都駅で山陰線に乗り換え電車に乗り込んだところで、義叔母が入院している病院から電話がありました。担当の看護師さんからで、私に伝えたいことがあるとのことでした。電車が出発する時刻が迫っていたので、午後4時には病院に行けるので、そこで伺いたいとと伝え、綾部に向かいました。駅に到着後、直ぐにホテルにチェックインし、宿泊とセットになっているレンタカーを借りて病院に行きました。
 義叔母は個室の病室に入っていました。前日の話では、一時的に個室に入っているが、午後3時過ぎには一般病室が空くので、そちらに移しますとのことでした。看護師の話では、義叔母が”イタイ!!”と云って大声を出すので他の患者に迷惑になるため個室のままにしたとのことでした。
 担当の看護師から入院に必要なものをそろえてほしいと云われ、物品の一覧表を渡されました。介護用のオムツなど買った経験がないので、どういうタイプのオムツなのかを訊き、市内のホームセンターへ階に出かけました。店でも売り場が分からず、介護用のオムツでも様々なものが並んでいたので、一覧表を見せて店員に選んでもらいました。
 店を出て、衣類や洗面具なども必要なため、施設へ向かいました。
 夕方の時間帯で小雨が降っていてあたりは薄暗くなっていました。施設は身の回りのことを自分でできる自立した方が入っているところなので、日曜に等の休日には施設の担当者は勤務していないことが多いです。私一人で衣類などが分かるは不安でしたが、見つからなかった物については月曜にの手術中に、もう一度行って担当者と一緒に探そうと考えていました。施設に着くと、運よく、この日は担当の方が一人勤務していたので、必要なものをすべてそろえることが出来ました。
 病院に戻り、しばらく義叔母と話をしました。間もなく食事が運ばれてきたので、夕食を食べ終わるのを待ってホテルに戻ってきました。

***** 11月10日(月) *****
 手術当日です。手術は午前中に行われると聞いていたので、少し早めにホテルを出て7時45分には病室にいました。義叔母が眠っていたので、しばらくソッとしておき、窓の外の景色などを眺めていました。
 盆地で日本海が近いこともあって、霧が濃く垂れこめています。
画像1(市立病院)

 病室に入り数分経ったところで、義叔母が目覚め、1時間近く話をしていました。義叔母の口癖で、「夢も希望もない。早くあの世へ行きたい」と云います。子供がなく、夫(私の父の弟)を亡くし独り身なので、そんなふうに思うのかもしれません。このときも、同じようなことを言っていましたが、加えて「あの世はいいところ」とも云っていたので、「どうしてそう思うのか?」と聞いてみました。義叔母から返って来た言葉は、「あの世から戻ってきた人はいないから...」でした。なんとなく納得できて、可笑しくなりました。
画像2(病室から見た外の風景)

 9時頃になって手術前の検査のため、義叔母はベッドに寝たまま、階下へ連れて行かれました。早ければ9時30分頃から手術になると聞いていたので、そのまま手術することになったのかと思っていましたが、1時間経った10時頃になって、義叔母が病室に戻ってきました。
 検査に云っている間、病室やエレベータの横の小さなホールのようなところで待っていました。担当の医師が病室に来て、手術の内容や手術によって起こりうる可能性のあることなどの説明を受け、手術の同意書に署名をしました。
画像3(手術前の義叔母)
 病室に戻ってきた義叔母は、少し緊張している様子でした。10時45分に看護師が迎えに来て、義叔母は階下の手術室に行きました。
 手術は2時間くらいだと聞いていたので、その間に、洗濯業者に依頼をしたり、施設のケアマネジャーと連絡を取ったりして手術が終わるのを待っていました。
 時々、看護師が話しかけてくれたりしたので、待っている時間はあまり苦になりません。施設から病院に行くときに使った車椅子が施設の戻っていないというので、看護師に探してくれるよう伝えておきました。
 予定通り、2時間後の午後1時に手術が終わり、義叔母は病室に戻ってきました。部屋でお処置があるため、過ぎに義叔母に会えず30分後に入室を許可されました。執刀医から手術の経過を聞き、手術が無事終わりましたが、麻酔から覚めなく、1時間たった2時頃になって声をかけると頷いたりするようになりました。
 今回はレンタカーを借りていたので、その返却時刻が迫っていました。義叔母が欠伸をしたり頭を動かしたりし始めたので、麻酔はほどなく切れると思い、帰る準備をしていました。そこへ、病院の相談員が部屋にやって来て、話をしたいというので別室で今後のことについて伺いました。私が山梨から来ているので話す機会がないと思われたようです。手術が終わったばかりなので、術後の経過を見ながら退院後のことを相談する旨を伝え、もう一度、病室に戻ってきました。病室の入り口に頼んでおいた施設の車椅子が置かれていました。義叔母に声をかけ、車椅子を持って病院を出て、施設に向かいました。時刻は3時近くになっていました。施設に車椅子を返し、ホテルで車を乗り捨て午後4時頃の電車に乗り込みました。山梨の自宅に戻ってきたのは午後10時前でした。
画像4(病室に持ち込まれた手術後の計測器)

 義叔母の術後の回復状態にもよりますが、7年前の時には1年ほどかかって、何とか手押し車を使って歩けるようになったので、年齢のことや両足大腿骨にボルトが入っていることなどを考えると、歩けるようになるのは1年以上かかるだろうと思います。担当医や相談員の話を総合すると、退院後は入院できるリハビリ病院などで歩行訓練などを受けてから施設に入る方が良いだろうと思います。そして、現在入っている施設には自立できるようになれば戻ることができるが、多分、医療や介護は整っている老人保健施設に入る可能性の方が高いと思われます。最悪の場合は特別養護老人ホームということにもなります。選択肢の中に、退院後、現在入っている施設へ戻る可能性は低いですが、可能性がないとは言い切れないので、退院近くまで回復の様子を見ることにしようかと考えています。

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