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伊根の舟屋2015年08月02日 21時51分

[トレンクル] ブログ村キーワード
*********** ここ4日間の出来事 ***********

 4日振りに夕飯を家で食べました。
 先月30日から31日までの二日間、京都の義叔母のところへ行っていました。
 日付が替わった8月1日午前1時頃、家内の叔母が亡くなったという知らせがあり、1日から今日、2日にかけて葬儀に行ってきました。
 京都へ行っている間はSAなどで食事をしていました。1日は通夜で、今日は告別式、納骨まであり、2日間共に仕出し弁当でした。
 久しぶりの夕飯は家でゆっくり食べられ、また、少し体重が増えそうです。

 30日朝5時に自宅を車で出発し、午前11時過ぎに綾部に到着しました。その日の午後、施設へ義叔母の様子を見に行ったり、市役所、JAバンク、司法書士事務所などをまわって、今回やらなければならないことを全て終了しました。
 30日、施設に着いたのは昼を過ぎていて、義叔母は部屋で昼寝をしていました。しばらく起こさないで、持って行った衣類等を備え付けの引き出しにしまい込んだりしていました。気配に気がついたのか、間もなく目を覚まし、私が来ていることに気がつきました。義叔母は元気そうに見えました。今年88の米寿を迎えます。昼寝から目が覚め、私を見つけてすぐに、私だということが分かりました。同じことを繰り返ししゃべったりしますが、こちらの話を理解でき、会話することが出来ます。1時間ほどとりとめのない話をして帰ろうとしたとき、車いすに乗ろうとしたので介助して乗せました。私の見送りをしようとしていました。ホールまで車いすを押して行き、ホールのテーブルに連れて行き、再び、しばらく話をして帰ってきました。

*********** 伊根の舟屋 ***********
 7月31日は朝7時にホテルを出て、天橋立方面に車を走らせました。奥丹後浦半島の伊根町に行くためです。
 前回、5月に来たときには天橋立をトレンクルで走りました。今回は、もう少し半島の方へ入り、伊根町の舟屋を見るつもりでした。20代の頃、出雲から日本海側を走って奥丹後浦半島を一周し、伊根の舟屋に泊まったことがあります。あれから40年以上経っているので、道路も舗装され、道幅も広くなっていて、伊根町の舟屋があるところも車で行けます。
画像1(近畿地図)

 時間は十分にあるので、天橋立の笠松公園近くに車を駐めて自転車で走ろうかと考えていました。しかし、この日31日は朝から真夏の太陽が照りつけ、気温が上がってきました。伊根町の手前までの道路は日陰になるところが少なく、舟屋を見たあと、山梨まで車で帰ることを考えると、もう少し先まで車で行った方が無難だろうと思いました。
画像2(奥丹後浦半島地図)

 伊根町に近づき、集落の中を少し進むと、伊根湾の遊覧船乗り場がありました。駐車場が広く、停まっている車も少なかったので、この場所に車を駐めることにしました。ここから伊根湾の海岸線を北へ走り、道が途絶えるところまで行ってみることにしました。距離は片道5~6キロ程度です。
画像3(伊根コース地図)

 車を駐めた場所です。この先にも無料の駐車場があります。
画像4(スタート地点)

 伊根の家は狭い道路の両側に連なっています。海に近い側の家は舟屋になっています。現在は舗装されていますが、40年前は未舗装でした。両側の家も改修したり建て替えたりされている家が目立ちます。
画像5(伊根の町並み)

 海岸線の道路は、集落が途切れると上り道になり、登り切ったところから次の集落までが下りになります。最初の上り道の途中から振り返ると海面側の家を見ることが出来ます。
画像6(伊根の町並みを過ぎた場所から舟屋が見える)

 最初の上り道の山側に規則正しく並んだ穴がありました。防空壕の跡だそうです。伊根町に人には失礼な言い方かもしれませんが、こんなところまで戦争の爪痕が残っているのには驚きました。
画像7(伊根の防空壕跡)

 伊根湾を半周ほどすると、舟屋がよく見える場所があります。公園になっていて、間近に舟屋の家並みを眺めることが出来ます。
画像8(伊根の舟屋)

 40年前に泊まった民宿の舟屋が、この家並みの中にあるはずですが、思い出すことが出来ません。
画像9(伊根の舟屋)

画像10(伊根の舟屋)

 小さな岬を越えて、伊根の外れまで来ました。道路に進入禁止の張り紙があり、車止めが道路をふさいでいました。その先に、地元のお年寄りたちが椅子を並べて日陰で話をしていました。この先のカーブを曲がると、伊根湾の中の次の小さな湾見え、湾の奥に1軒建物が見えました。おばあさんたちの話によると、この先には1軒だけ家があって、道はそこで行き止まりだそうです。通行止めになっているので、この先へは進めず、ここから引き返すことにしました。
画像11(伊根湾先端付近)

 通行止めの場所から眺めた、伊根湾に浮かぶ亀島です。地図上は青島となっていますが、地元の人は亀島と呼んでいて、このあたりの地名にも亀島が使われています。
画像12(伊根湾の亀島)

 通行止めの場所から伊根輪の尾中程まで引き返して眺めると、反対側からの亀島が見えます。
画像13(反対側から見た伊根湾の亀島)

 復路の途中、小さな湾がいくつもあり、浜辺近くまで行くと舟屋を見ることが出来ます。
画像14(伊根の舟屋)

 湾の中を走る漁船のエンジン音が、時々聞こえるくらいで、自動車の騒音や人の声など、生活音が全くありません。湾が入り組んでいて波の音もしないので、静寂の別世界に入り込んだような感じでした。
画像15(伊根の道路と家並み)



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馬篭宿をトレンクルで走る2015年08月03日 18時12分

[馬篭宿] ブログ村キーワード

*********** 伊根から神坂SAまで ***********
 7月31日(金)の行動。
 昨日の記事で伊根町の舟屋をトレンクルで巡ったことを紹介しました。往復8キロを走ったあと車で舞鶴の方面に向かいました。
画像1(舞鶴付近のマップ)

 舞鶴市街地の手前に道の駅「とれとれセンター」があります。魚介類を販売していて、その場で食べさせてくれます。
画像2(舞鶴道の駅)

 今回の京都行きの当初の予定は、トレンクルで奥丹後浦半島を一周し、この道の駅で車中泊するつもりでした。しかし、猛暑日が続き、半島を一周したあとの車中泊は、とても無理なので今回は中止にしました。もう少し涼しくなってからなら車中泊も出来るだろうと思っています。
画像3(舞鶴道の駅)

 舞鶴から舞鶴・若若狭自動車道に入らず、国道を進んで、小浜から自動車道にのりました。途中、高浜原発や大飯原発の道路標識がありました。「大飯 原子力 発電所」が正式名称ですが、なぜか道路標識には「大飯 原電」と表示されています。我々に馴染みのない省略名称です。多分、意図的に馴染みのない名称にしてあるのではないかと思います。「原発」のイメージがあまりにも余りにも悪すぎるため「原原」としたのではないでしょうか?普通に考えれば、「大飯 子力 電所」と、原子力、発電所の最初の一文字で省略形が作られるはずです。発電所の方だけを第二文字目にする必要はありません。それだと省略形にならないと思われます。20011年3月以降、原発の所在地が国民の多くに知れ渡るようになりましたが、福島第一原発の事故以前だと、国道を走っていて、この標識に出会っても「原電」が原子力発電所だとは気がつかない人もいたのではないかと思います。国民の欺くための姑息なやり方がこんなところにも徹底して国がやっていたことの証です。
画像5(原発の道路標識)

 車を走らせていると、いろいろなことに気がつきます。特に、道路標識は面白いです。たとえば標識に漢字名と共にローマ字表記は併記されています。「大飯」のローマ字表記は「OI」(オー、アイ)となっています。この表示が正しいのだと思いますが、漢字の「大」は「OO」(オオ)ではないのか?と素朴に思います。「大きい」という場合に「okii」と表示すると、「おきい」と読んでしまいます。外国人向けの表示なら、もう少し日本の読み方に近づけるような表示にした方が良さそうです。
 今回見つけた道路標識は「岡津」です。普通に読めば「おかず」または「おかつ」になるはずです。ところが、ローマ字表記は「Okozu」、つまり「おこず」になっています。「岡」を「おこ」と読むのは私には出来ませんでした。神奈川県の学校に「岡津高校」や「岡津小学校」などがありますが、「おかつ」または「おかず」と呼ばれています。
画像6(読めない道路標識)

 小浜から自動車道に入り、敦賀から北陸道で米原まで行き、名神の養老SAで遅い昼食を取りました。尾張に来たので「きしめん」を食べましたが、私には「ほうとう」や「吉田のうどん」の方が好きです。「きしめん」はうどんでもなく、何か中途半端な食べ物のように思えます。
画像4(SAのきしめん)

*********** 神坂SAから馬篭宿へ ***********
 小牧JCTから中央道に入り、恵那山トンネル手前の神坂SAに到着しました。今回の旅行で神坂SAなら山の中なので車中泊が出来るかもしれないと考えていました。夕方、神坂SAに着いて車中泊をして、翌朝早い時間に馬篭をトレンクルで走るつもりでした。
 伊根の舟屋での時間が予定よりも短かったので、神坂SAに到着したのは午後3時頃でした。
画像7(神坂SAから馬篭コースマップ)

 まだ、陽が高く、SAから馬篭宿までは1キロ弱の道のりなので、その日のうちに馬篭へ行ってくることにしました。
 中央道上り線 神坂SAの高速バスの停留所から階段を上ると馬篭へ向かう道路に出ます。
画像8(神坂SAのバス停)

 SAから上り道が1キロほど続きますが、距離が短いのでそれほど苦にはなりません。30代の頃、家族でSAから馬篭宿まで歩いて行ったことがあります。次男はまだ幼く、よちよち歩きなのでベビーカーに乗せて行きました。長男や家内、家内の妹と一緒でしたが、真夏の暑い中、この道を歩いたことを自転車を走らせながら思い出していました。
画像9(馬篭宿入り口)

 馬篭宿の街道の下に到着し、ここから石畳を歩いて上って行きました。
画像10(藤村記念館)

画像11(馬篭宿上の道路)

 馬篭宿を上りきったところに「高札場」があり、ここから更に街道を上って行くと馬籠峠を経て妻籠に行けます。ここから7キロほどでしたが、今回はここまでにして引き返しました。
画像12(馬篭宿高札場)

画像13(馬篭宿防火用樽)

画像14(馬篭宿の上から見た街道)

 馬篭宿の下の入り口付近に水車がありました。馬篭の水力発電一号機だそうです。
画像15(馬篭宿の水車_水力発電)

画像16(馬篭宿の水力発電用水車)

画像17(馬篭宿の水力発電用水車の看板)

画像18(馬篭宿下の入り口)

 馬篭宿下には駐車場があります。店の人に聞くと、夏の時期は観光客が少ないそうです。街道でも数人の観光客を見かけただけでした。秋の方が訪れる人が多いようです。
画像19(馬篭宿下入り口の駐車場)

 駐車場のあるところからSAに向かって下って行きました。帰りは下り道なので快適です。最初のカーブを曲がりきったところから、下ってきた駐車場の方を眺めてみました。結構高低差があります。
画像20(馬篭宿から下って振り返った風景)

 馬篭でも時間があまりかからなかったので、このまま山梨に帰ることにしました。山梨県に入り、途中のSAで夕食を済ませ、午後7時過ぎに自宅に帰ってきました。
 この日トレンクルで走った距離は、伊根で8キロ、馬篭で4キロの合計12キロでした。


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ゴボウの収穫2015年08月04日 18時13分

[ゴボウ] ブログ村キーワード

*********** 今朝の太陽 ***********
 今朝は5時に目が覚めました。先月末に義叔母のところへ行くことになったときから、朝早く目覚めるようになっています。
 午前5時、東の空に太陽が昇り始めました。朝靄がかかっているため、真っ赤な太陽が山の上に出てきました。画像では白っぽく見えますが、実際には真っ赤です。
画像1(日の出)

 5分くらいの間に山際から離れ、更に上へ上っています。この頃から、周りの景色が太陽の光で赤く染まり始めました。
画像2(日の出)

 時々、太陽に濃い靄がかかって縞模様が出来ていました。靄が切れる上空では境目が赤いラインになっています。
 こんな太陽を見るのは久しぶりです。
画像3(日の出)

*********** ニンジンの種まき ***********
 昨日、ニンジンの種を蒔きました。4条の筋蒔きです。
画像4(ニンジンの種まき)

 画像左上の「時なし五寸ニンジン」以外は昨年の残り種です。
 「紅奏」と「グランプリ」は大きく育つニンジンです。「本紅金時」は年末に作るお節の煮物用です。 
画像5(ニンジンの種袋)

 昨日蒔いたニンジンの畝に切り藁を掛けておきました。土が乾かないようにするためと地温の上昇を抑えるためです。
画像7(ニンジン畝の敷き藁)

*********** ゴボウの収穫 ***********
 延び延びになっていたゴボウを収穫することにしました。大きな葉が少し枯れ始めています。7月中に収穫したかったのですが、義叔母のところへ行くこともあり、帰ってきてからにしようとかんがえていました。その予定が8月1日未明の叔母の訃報により2日遅れてしまいました。
画像8(ゴボウの葉)

 ゴボウのある場所はカボチャの蔓が周りにあるので、まず、カボチャの蔓をゴボウのある場所から離して、次にゴボウの葉を根元近くから刈り取りました。
画像9(ゴボウの葉の刈り込み)

 続いて、周りを覆っていた藁を取り除きました。地面より高く土を盛ってあるので、冬の寒さや夏の暑さを防ぐために藁を巻いていました。
画像10(保護わらを取り除く)

 プラスチックの漬け物桶を2段重ねにして、土を高く盛ってあります。桶はどちらも底を抜いてあり、逆さまにして重ねてあるので、桶を抜き取るのが簡単です。まず、上側の桶を取り除きました。
画像11(上部を外す)

 次に、下側の桶を取り除くのですが、手で引っ張り上げただけではおけがビクともしません。下側にスコップを入れてこじ上げるようにして取り除きました。
画像12(下部を外す)

 桶を取り除くと、土のタワーになっています。周りの土を落として行くと、ゴボウが見えてきました。畑と同じ高さのあたりから下は、ほんの少しだけゴボウが入り込んでいるので、ゴボウを手で持って、ソッと引き上げると簡単に抜けました。
画像13(土を取り除く)

 掘り出したゴボウは全部で13本ありました。枝根になっているものもありましたが、概ね、スラッとした良いゴボウが取れました。
画像14(掘り出したゴボウ)

 3本だけ泥を落とし、長さを測ってみました。1mまで達していませんが、90センチから70センチくらいに長さがありました。
画像15(ゴボウの長さ)

 ゴボウは一度に多く食べることは無いので、残りの10本を畑の隅に埋めて保存しました。
画像16(ゴボウの地中保存)

 ゴボウを土の中に埋め、上に藁を掛けておきました。
画像17(ゴボウの地中保存)



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猛暑の中で2015年08月05日 17時53分

[畑仕事] ブログ村キーワード

*********** お盆の準備と先日の葬儀について ***********
 来週はお盆になります。我が家の芝生の刈り込みや芝生の中に目立ち始めた草取りをしなければなりません。また、義母の家の庭木の刈り込みが半分残っているので、それもしなければなりません。我が家と義母宅の祭壇作り、義母宅の掃除なども、お盆を迎えるに当たってやらねばならない仕事です。昨年は7日に行っているので、少し気温が下がった頃に義母宅へ行ってやってきます。
 我が家の方は今日から少しずつ気がついたところを片付けて行こうと思っています。
 私の実家(綾部市)、家内の実家、それに我が家と3箇所にそれぞれ仏壇があり、お墓も3箇所あります。私の実家の方はお寺にお願いしてありますが、お墓の方は手つかずです。
 昨日朝、家内と二人でお墓に行って草取りをした後、家内が10時過ぎからお寺に行き、新しい塔婆をお墓に立ててきました。我が家のお墓と家内の実家のお墓だけでなく、毎回、亡くなった義父の兄と妹の家のお墓にも塔婆を立てています。
 我が家と家内の実家の宗派が同じで、家内の実家の墓の隣に、父が亡くなったときに我が家の墓を作りました。両家の墓が並んであるため、墓参りをしたときは、必ず、鳥多の墓にも花や線香を供えています。
画像3(墓)

 今月初め、家内の従兄弟のところで葬儀がありました。義母のすぐ下の妹の葬式でした。家族葬で、従兄弟の兄弟や親戚などだけが集まりお寺で通夜、告別式が行われました。我が家とは宗派が違い、般若心経のお経に聞き慣れていたので、何か落ち着かない感じでした。参列者は喪主を含めて30人弱でした。本堂に中央に左右に並べられた椅子に腰掛けていたので、通夜、告別式の各1時間の法要は足のしびれもなく良かったです。正面に住職、左右に2人の坊さん(坊さんというより、まだ、若い住職の弟子のような方でした)が座り、葬儀が始まりました。住職は胸にマイクをつけていていました。本堂の広さと参列者の人数からするとマイクをつける必要がないのではと思いましたが、通夜が終わった後、マイクが必要な訳が分かりました。お経が始まって数十分経った頃、突然、住職の声が途絶えました。脇にいる二人の坊さんが合わせて読経しているので、違和感はありません。息継ぎなどで読経が途切れることは良くあることだと思いますが、この住職は、その間が少し長く感じました。最初の途切れから後は頻繁に読経が途切れることが多くなりました。私は気がつかなかったのですが、通夜が終わった後、家内が「住職が時々眠っていた」と、話していました。
 マイクをつけていたことや読経が途切れ途切れになったこと、眠っていたことなどを総合すると、この住職は呼吸器系の疾患があって、読経の最中に酸欠状態になるのではないかと思います。
 翌日の告別式の時に注意して住職の後ろ姿を見ていましたが、読経が途切れたときに頭が前にガクッと下がるように見えました。
*********** 畑の草取り ***********
 午前中、1時間ほど畑の草取りをしました。
 防草シートを敷いていますが、少し間が空いていたりすると草がその間から生えてきます。畑の北側、東側の炭に50センチ幅の防草シートを張って耕耘機の通路にしています。水田だったところなのでコンクリートで囲まれています。コンクリートの壁と防草シートの間に草が生えています。
画像1(草取り前)

 草を完全に取り除くことは出来ませんが、一応、草取りが終了しました。
 後は空き地と隣接している南側と庭の石垣の下、西側の草取りをしなければなりません。南側は空き地に接しているので、草が特に多いです。畑側と共に空き地側の草取りをしなければ、草が畑の方へ進出してきます。今週は庭の芝生の手入れ、家内の実家の庭木の剪定などをしなければならないので、畑の方は来週初め頃になりそうです。
画像2(草取り後)



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