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サボテンの植え替え2010年06月01日 18時23分

[トマト] ブログ村キーワード

***** サボテンの植え替え *****
 庭に出してあるサボテンが、心なしか元気がありません。
 数日続いた雨と低温のためかと思います。
 毎年、春か秋に、年に一度、植え替えをしています。
 「銀翁玉」は、春先には上の方が緑になって成長をはじめていましたが、現在は、黒ずんできていて腐りかけているのかも知れません。
 植え替えのため、鉢から出してみると根の周りに付いた土が湿っていました。根を洗って日陰で乾かしてから一回り大きな鉢に植え替えました。
 他のサボテンも、同様に、表面は土が乾いていましたが、地中の根の周りは湿っていて根腐れを起こしそうな状態でした。
画像2(サボテンの植え替え)

 サボテンの土は、水はけの良く、肥沃でない土が良いと思います。
 中学生の頃には、臨海学校で海へ行ったときに砂を担いで帰ってきました。今、考えてみると、海岸の砂は塩分を含んでいるのでサボテン栽培には適していないと思います。持ち帰った砂を水洗いしたり、熱湯を何度も掛けて殺菌したりして使っていました。
 今日は、園芸用の培養土と中粒の赤玉土を半々、混ぜ合わせたものを使ってみました。全て自己流ですので、正しい用土かどうかは分かりません。
画像3(土のブレンド)

 庭の花台(3月製作した棚)に置いていましたが、昨日までのように雨が降り続くと根腐れを起こしかねないので、畑のビニール温室内に置くことにしました。
 温室は木製なので、あとからの追加や変更が容易に出来ます。温室に東側に筋交いが入っていて、その上に板を載せれば簡易棚ができます。棚の内側にはミニカボチャ用のネットが張ってあるので、カボチャの蔓が伸びてくると、西日が当たりにくくなってしまいますが、温室の中なので雨に当たる心配はなくなりました。
画像4(温室に入れたサボテン)

画像5(温室に入れたサボテン)

***** トマトの摘果 *****
 大玉トマトの「桃太郎ゴールド」の一段目に、小さな実を含め5つほど結実していました。
 昨年、「桃太郎ゴールド」は肥大して収穫できるまでに時間がかかり、その間に、虫に入られたりしました。その為、今年は第一段目に2個だけ残し、あとを摘果して肥大を早めようかと考えています。
 方法が正しいのかどうかはよく分かりませんが、自分なりに考えて試してみたいと思います。
画像1(トマトの摘果)

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実家に来ています。2010年06月02日 22時42分

 昨夜、実家の叔母の甥(叔母方の甥)の奥さんから電話があり、朝、ご主人が亡くなったとの知らせでした。
 2年前に叔母が大腿部の骨折をしてから、入院、老人福祉施設への手配など、叔母のために奔走していただきました。その頃から、肺ガンのため入退院を繰り返されていました。退院したわずかな時間を使って、実家の草刈りなどもしていただいていました。
 昨年11月末には、叔母が入所していたところの期限が切れて3日間だけ叔母を引き取って、次の入所日まで面倒を看なければならなくなったときに会ったのが最後でした。そのときには相変わらず元気な様子を見せていましたが、顔色は土色で言葉や態度とは裏腹に精気がなかったように思います。

 電話では、今日が通夜で、3日が告別式、どちらも自宅で執り行われるということでした。
 叔母には子供がいないので、2年前の骨折以来、叔父方の甥である私や叔母方の亡くなった甥が叔母の世話をしてきました。叔母にとっては最も身近な人が亡くなったので、心の痛手は大きいのではないかと思います。
 老人福祉施設のケアハウスに入っている叔母を、明日の葬儀に参列させてやるため、今日、山梨を発って、こちらに来ています。

 今回、ネットPC、デジカメを持ってきたのですが、肝心のデジカメとPCをつなぐUSBコードを忘れてきました。これまで何回か、こちらに来ていて、USBコードを忘れたことがなかったのですが、今回、急なことだったので、喪服や香典などに気を取られ、忘れてしまいました。
 ということで、画像をのせることができません。
 2~3日、こちらにいますので、しばらく、画像なしの記事になりそうです。

滞在2日目2010年06月03日 17時04分

 昨夜、叔母のところへ行って、葬儀の話をしてきました。
 叔 は感情を表に出すことが少ない性格なので、訃報を聞いても、落胆したり悲しがったりすることはありませんでした。
 山梨から義母の喪服一式を持ってきていたのでサイズが合うか確認しました。叔母は2年前の骨折以来、病院や福祉施設を転々としているので自宅に帰って衣類等を自分で見つけて持ってくることができません。
 叔母は義母と同じく小柄なので合うかと思ったのですが、叔母の方が小太りでサイズが合わないことがわかりました。今朝、私が実家へいって家捜しして叔母の喪服を見つけ、何とか間に合わせることができました。約2年間、タンスに入りっぱなしの衣類でしたので駄目かもしれないと心配でしたが、若干シミがあるものの恥ずかしくない格好をさせてやることができました。
 告別式の時間には少し早かったのですが、叔母の実家ですので11時過ぎにはケアハウスを出発しました。私は初めての行く場所なので道が不案内です。叔母は生まれ育ったところなので知っているかと安易に考えていましたら、自分の実家の近くにきてもよくわからないようでした。案内の張り紙で何とか到着できました。叔母の実家のあたりには子供の頃、ザリガニを取りに来たことがあります。その頃はずいぶん遠くまで来たなという印象でした。
 叔母は末っ子で、上にはお姉さんが大阪や名古屋に健在です。ただ、高齢でもあるので、その子供たちが来られていました。叔母は顔を見ただけでは誰だかわからず、大阪の姉の子供だとか言われてわかったようです。
 私自身は叔母のお供で行ったので、知っている方は全くいなくて、「叔母の夫の兄の子供」と自己紹介をしながら会話に入っていました。
 骨折をしてから足が不自由になっている叔母ですので、葬儀の間、座っていることができません。途中で、椅子に腰掛けさせて、出棺までいて帰ってきました。
 ケアハウスに戻って、叔母としばらく話をしていましたが、叔母の話は、同じことを何度も繰り返すので、少々、こちらもイライラしてきました。特に、お金のことをしつこく言うので困りました。今回のようなことがあるので、現金を持っていたいとしきりに言っていました。私の母も同じでしたが年を取ってくると、どうしてお金のことが心配になるのか理解できません。必要な経費はすべて通帳から引き落としにしてあり、月々の小遣い程度のお金があれば足りるのですが、数十万のお金が手元にないと不安だと言っていました。
 叔母との話を早々に切り上げて、使わない衣類等を実家に持って行きタンスの中に再び入れて、ご近所に挨拶をしてホテルに戻ってきました。

無事、帰ってきました。2010年06月04日 17時59分

[キュウリ] ブログ村キーワード

***** 2泊3日の滞在 *****
 デジカメを持って行ったのにUSBコードがなかったので、画像を掲載することが出来ませんでした。ただ、今回は叔母を葬儀に参列させるためのお供ですので、時間的な余裕がありませんでしたから、写真を撮ることも、いつもに比べると少なかったです。
 2泊した駅前のビジネスホテルも、はじめて泊まるホテルで、駅の南側にあり道路に面していました。
 昨日の朝も、今日の朝も、6階の窓から見る山はモヤがかかってほとんど見えません。盆地で、日本海に近いこともあり、朝はいつもこのようなモヤがかかっていることが多いです。
画像1(靄(モヤ)のかかった朝)

 下の画像は着いた日の夕方の写真です。子供の頃、よく登った「寺山」や「四ツ尾山」がホテルから見えました。
画像2(晴れた日の夕方)

 朝6時になると近くのお寺の鐘が聞こえてきます。窓からも、そのお寺がよく見えました。
画像3(ホテルから見えるお寺)

 昨日、ホテルに戻ってきた時間が早かったので、夕方、近くを歩いてみました。駅前の道を南に向かって歩いて、両側の店や家並みを眺め、昔の面影を追ってみましたが、記憶に残る町並みは見つかりませんでした。駅前通りの突き当たりから左に折れ、本町通り(確か、そう言う名の通りだったと思いますが)を東に進んで行きましたが、40年以上前とは全く変わってしまっていました。確か、この辺りにU君の家があったはずだと探してみましたがよく分かりません。近くの家のおばさんが道に出ていたのでたずねてみると、その方も記憶が定かでなく、多分、この辺りじゃないかと言いながら一緒に歩いてくれました。数軒先まであるいて、近所の方に聞いてくれました。80歳を過ぎていると思われるおばあさんでしたので、良く覚えていてU君が住んでいた家があった場所を教えていただきました。現在は駐車場になっていて、U君は京都で外科医を開業していて、上のお兄さんは市内で歯科医をしているとのことでした。そんな話を聞いていたところへ家の中から出てきた、このおばあさんの息子さんと思われる方を見て、見たことのある顔だなと思ったので、U君とは同級生であることを話すと、その方も同級生であることが分かりました。この通りには、何人かの同級生が、今も住んでいると話していました。
 この方はY君と云いますが、互いに名前を聞いただけでは思い出せません。小学校、中学校、高校と同じ学校に通っていたにもかかわらず、思い出せないのは、団塊の世代で生徒数が多かった為なのかも知れません。
 しばらく、記憶をたどるように話をして後、別れて、西町通りから広小路通りに入り、ホテルに戻ってきました。
 町中をあるいても昔の面影はなく、知らない町を訪れているような気持ちになります。高校卒業後に、この町を離れ40年以上が経っていますので無理からぬことかも知れません。

 今朝8時にホテルを出発して、午後3時前に山梨に戻ってきました。

***** 2日振りに見る野菜 *****
 荷物を片付けた後、早速、畑を見に行きました。玉ねぎが2日前よりも多く倒れています。
 ジャガイモの花も増えました。
 キュウリがもう少しで収穫できるくらいの大きさになっています。
 夏すずみという種類で、近くの農園の苗です。
 曲がっていて形は良くありませんが、数日中には収穫できそうです。
画像4(キュウリ)

 プランターのミニトマト「イエローアイコ」も、収穫までには未だ時間がかかりそうですが、少し大きくなっていました。
 たった2日間、見なかっただけなのですが、2日前に比べると、見違えるほど成長しています。
画像5(イエローアイコ)

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