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ニンジンの裂根2021年11月26日 17時45分

[ニンジン] ブログ村キーワード

1 *********** 御坂山塊に沈む月 ***********
 10時半過ぎ、御坂の山に月が沈んで行くのを眺めていました。
 家の裏からだと電車の架線や電柱が邪魔になるので、線路を渡ってい見通しの良い場所から撮影しました。
 月は日ごとに遅く昇り、沈むのも次第に遅い時刻になっています。
 周囲の山々は紅葉し、穏やかな晩秋のたたずまいです。
画像1(三つ峠と月)

画像2(三つ峠と月)

画像3(三つ峠と月)

2 *********** 花 ***********
 花弁が萎れていてもバレリーナの花は鮮やかです。
 ツボミも、まだ、多く付いていますが、寒さが厳しくなれば咲かずに終わってしまいます。
 青紫の小さな花のロベリアは、こぼれ種から芽を出しました。
 蝶が舞うように咲くとのことですが、花数が少なく舞っているようには見えません。
画像4(バレリーナ)

画像5(バレリーナ)

画像6(ロベリア)

3 *********** ニンジンの裂根 ***********
 ニンジンとキャベツは朝食のスムージー作りに欠かせません。
 冷蔵庫のキャベツが小さくなってきたので1株収穫しました。葉が締まっていて重いです。

 ニンジンも何本か採ってみました。二つに割れているニンジンが増えてきました。晴れた日が続いた後、雨が降ったりすると裂根になりやすいです。二股になったニンジンもあり、収穫出来たのは3本だけでした。

 大根、カブも収穫。
 カブは大きくするつもりで畑に残してありましたが、その後ほとんど大きさが変わらないので3株全部収穫です。
画像7(キャベツ)

画像8(ニンジン)

画像9(収穫した野菜)

4 *********** 祖父の書類等 ***********
 2階の押し入れの片づけが続いています。
 父が残した物もいくつかあり、その中に古い茶封筒に入った書類などが出て来ました。
 祖父の名刺や短歌、辞職届です。
 叔父が残していた原戸籍を調べると、祖父が亡くなったのは昭和28年7月5日です。
 辞職届の日付を見ると昭和28年5月31日となっているので、亡くなる1ヶ月ほど前に書いたのだと思います。押印されている辞職届を父が持っていたということは、この届けを父は出さなかったのかもしれません。
 祖父はこの年の2月か3月頃から体調を崩し、床に伏せっていました。
 辞職届をしたため、父に届けを提出するように頼んだのではないかと思います。父のことですから、これを提出したと思いますが、会社の方で受け取らなかったのではと推測しています。

 祖父が床に伏すようになって、父や母、伯母などが頻繁に実家へ行くようになりました。私は幼稚園に通うため、夕方バスで帰ってきて、翌朝父の職場の方に幼稚園へ行く準備をして貰っていました。
 3月のある日、いつもと同じように市内の有岡という町に嫁いだ伯母と一緒にバスで帰ってきたことがあります。バスは混んでいて、伯母は空いた席に私を座らせ、つり革を掴んで座っている私の前に立っていました。目の前に伯母のバッグが見えるだけで視界が狭かったためか、このとき初めてバスに酔いました。バス酔いの経験が無いので、何故、急に気持ち悪くなるのか分かりませんでした。伯母に告げることが出来ず、終点の駅前に着くまで耐えていました。バスから降りて吐き気が治まったのでホッとしたのを覚えています。
 伯母は夕食にとパンを買って持たせて途中で分かれ、一人で薄暗くなった坂道を上がって帰ってきました。家に着く頃にはすっかり日が落ちていました。家には3つ上の兄が電気も点けずに、ひとりコタツで寝ていました。コタツの上には新聞があり、一面に大きな写真と文字が目に付きました。何かただ事でないことが起きたようだということは分かりました。写真と断片的な文字”第五福竜丸”、”水爆実験”、”放射能”から第五福竜丸の乗組員が被爆したの見出しがあったのを、今でも鮮明に覚えています。
 1954年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験による被爆の記事だったのだと、後に知りました。
 小学3年の兄と幼稚園の私は、まだ寒さが残る3月上旬頃でしたが、火を起こして暖を取ることも出来ず、夕食にパンをかじった後は布団に潜り込んで寝るしかありませんでした。

 祖父のことは断片的な記憶だけで、詳しいことは知りません。
 若い頃は銀行員だったとか、村長をしたとかは、祖父が亡くなってから祖母や叔父、叔母から聞いたような記憶がうっすらとあるだけです。
 今回、父が残した茶封筒の中身を見て、亡くなったのが3月頃の寒い時期だったような記憶がありましたが、先ほどのバス酔いや第五福竜丸の件と重なっていたようです。
 私の想像ですが、”農村新年”の短歌は、多分叙勲されたときに詠んだものだろうと思います。
 父が、祖父の短歌や、辞職届、名刺などを保管していたのかは定かでありませんが、時折父が短歌を作っていたことなどを考えると、父にとって祖父はライバルであり、あこがれの人だったのかもしれません。
画像10(祖父の書類)


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