無事帰ってきました!! ― 2017年04月08日 18時12分
[桜] ブログ村キーワード
*********** 4月7日(金) ***********
朝6時に自宅を出発し、綾部(京都府)へ向かいました。
旅行中は雨の予報だったので、傘を持って出かけるつもりでしたが、出かけるときは雨が降っていなかったのでスッカリ忘れていました。
山梨県内は曇りでしたが、長野県には行って雨になりました。最初の休憩場所「駒ヶ岳SA」のコンビニで傘を買い、一先ず安心です。
小牧JCTの手前の土手の上に桜並木があります。両側の土手に約1㎞ほど続いています。今年は少し遅れていて満開になっていませんでした。
岐阜件から愛知県に入ると高曇りで雨が降っていません。名神を走るときに雨だと嫌だなと思っていたのでホットしました。
舞鶴若狭道も雨がなかったですが、綾部に着く直前になって雨が降り出しました。
*********** 4月8日(土) ***********
今朝は7時にホテルを出発。
舞鶴若狭道、北陸道は小雨がぱらつく程度で走りやすかったです。
岐阜と長野の県境にある恵那山トンネル付近で、少し雨が降り出し、靄がかかっていました。ここを通るときはいつも、こんな感じです。
飯田までは空が明る、く雨もなくて快適なドライブでした。
駒ヶ岳SA付近から伊那にかけて靄がかかり小雨が降っていました。
諏訪SAに到着。このSA付近の中央道下り線で先日大きな事故がありました。
諏訪SAの売店で五平餅を買うのが習慣です。今日は桜ステーキが美味しそうだったので、思わず買ってしました。
帰路は、往路に比べると運転に慣れてくるためか、疲れを感じません。舞鶴若狭道、北陸道、名神高速、中央道ともに渋滞もなく、雨も小降りだったので、予定よりも早く山梨県内に入りました。途中、一宮の釈迦堂SAに寄って、桃の開花状況を見てきました。釈迦堂SAに車を駐めて、側道に出ると、ブドウ棚や桃畑が広がっています。
桃の花は一、二分咲きといったところでしょうか。蕾が膨らんでいるので来週末あたりが見頃になるように思います。
釈迦堂SAから少し歩いてブドウ棚の間を抜け、大きな桜の木があるところまで行きました。
SAはし高いところにあり、そこから少し下ったところに桜の木があります。SAからも見えます。
神社の境内の桜の木で、樹齢何年か分かりませんが、大きな木が3本あります。
境内の奥にテントが張ってあり、地元の方がお祭りの準備をしていました。
中央道を利用するとき、行きは中央道駒ヶ岳SAと北陸道賤ヶ岳SAの2箇所が休憩地にしています。帰りは、名神高速養老SAと中央道諏訪SAの2箇所が休憩地です。帰りの出発が遅くなった場合は、諏訪SAが駒ヶ岳SAになることが多いです。
綾部から山梨の自宅までの走行距離は約500kmす。今朝7時に出発し、途中釈迦堂SAに立ち寄り、午後1時過ぎに到着しました。6時間の走行でした。釈迦堂SAに寄っていなければ6時間を切っていたと思います。2日間で1,000km走ったことになります。走行しながら考えることは、いつまでこんな距離を運転出来るかということです。義叔母が健在な間は、年に何度か綾部に行かなければなりません。車の運転に不安を感じるようになれば、電車で行き、現地でレンタカーを借りることになるかと思っています。これまでも雪のために電車で行ってレンタカーを借りたことが何度かあります。
*********** 今回の綾部行きの目的 ***********
第一の目的は、義叔母の様子を見ることです。子供がいなく、夫は亡くなっているので、身寄りはになるのは甥の私くらいです。夏が来れば満90歳になります。この10年間に右と左の大腿骨骨折で2度手術をしているため、歩行が困難で車椅子での生活です。若干認知症がありますが、私との会話は普通に出来ます。受け答えはしっかり出来ますが、毎回合う度に同じことを話すことが多いです。
昨日は綾部に到着後、そのまま義叔母が入っている施設(老健)へ行き、施設から届いていた施設利用の申請書類を提出した後、義叔母の部屋に行き1時間ほど話をしてきました。
施設から市役所へ移動し、義叔母の「臨時福祉給付金の交付を受けるための必要書類を提出してきました。市役所でのもう一つの用件は、高齢者の医療費補助金給付の振り込み先の変更でした。登録されている義叔母の口座は、ほとんど出し入れをしていないので、別の金融機関の口座に変更する手続きをしました。
これらの窓口は高齢者健康・福祉関係の課です。本館でなく、別館です。最初に市役所へ行ったときには、市役所の場所すらうろ覚えで、道を1本間違えて入ったりしましたが、最近になってようやく位置関係が分かるようになってきました。別館(西館?)にどんな課があるのかも分かってきました。地元山梨の市役所よりも分かります。
市役所の用事を済ませた後、三つ目の目的である、M氏の「世界やりくり旅行スケッチ展」を見るため、ギャラリー・カフェ「日々」へ行きました。M氏はJR東日本 取締役事業管理部長を務められた方で、退職された後、綾部にIターンされ、地域のために多様な分野で活躍されています。
現役時代に仕事やプライベートで世界各地を訪問され、訪れた場所でスケッチを多く描かれ、また、当時の記録など多くの資料を保存されています。今回のスケッチ展にはスケッチ画だけでなく、資料や当時書かれたメモなども展示されていました。
「世界やりくり旅行スケッチ展」は昨日が初日で、午前中にはM氏の奥様のオカリナ・コカリナのグループの演奏会もあっりましたが、残念ながら私はお聴きすることができませんでした。
午後2時半頃、ギャラリー日々に着きました。M氏には会えないだろうとあきらめていましたが、中に入ると、多くの人がいて、その中にM氏ご夫妻もいらっしゃいました。一目見てM氏だと分かり、お声をかけましたが、他の方と話をされている最中だったので、チョット挨拶をして、私は展示されているスケッチ画を見たり、テーブルに並べられている資料などを拝見して、カウンターでコーヒーを頂いていました。暫くして、M氏がカウンター席の方へ来られました。M氏のお宅と私が生まれた官舎はすぐ近くでした。M氏とは年が離れているので一緒に遊んだり話をしたりしたことはありません。昨年、facebookでM氏のことを知るようになり、facebookでの友達になっています。
元のスケッチ画は黒一色で描かれていたそうです。今回の展示会のため、色づけをしたとおっしゃっていました。
家族やご兄弟のこと、私の実家のある志賀郷のことなど、1時間ほど話をお聞きしました。
M氏はグルメ通でワインや日本酒などにも詳しく、アウトドアではカヌーに乗ったり、若い頃には山登りもされています。大変気さくな方で、その人柄から多くのM氏ファンがいます。今回お会いして、親しく話をさせていただき、私もファンになりました。
*********** 4月7日(金) ***********
朝6時に自宅を出発し、綾部(京都府)へ向かいました。
旅行中は雨の予報だったので、傘を持って出かけるつもりでしたが、出かけるときは雨が降っていなかったのでスッカリ忘れていました。
山梨県内は曇りでしたが、長野県には行って雨になりました。最初の休憩場所「駒ヶ岳SA」のコンビニで傘を買い、一先ず安心です。
小牧JCTの手前の土手の上に桜並木があります。両側の土手に約1㎞ほど続いています。今年は少し遅れていて満開になっていませんでした。
岐阜件から愛知県に入ると高曇りで雨が降っていません。名神を走るときに雨だと嫌だなと思っていたのでホットしました。
舞鶴若狭道も雨がなかったですが、綾部に着く直前になって雨が降り出しました。
*********** 4月8日(土) ***********
今朝は7時にホテルを出発。
舞鶴若狭道、北陸道は小雨がぱらつく程度で走りやすかったです。
岐阜と長野の県境にある恵那山トンネル付近で、少し雨が降り出し、靄がかかっていました。ここを通るときはいつも、こんな感じです。
飯田までは空が明る、く雨もなくて快適なドライブでした。
駒ヶ岳SA付近から伊那にかけて靄がかかり小雨が降っていました。
諏訪SAに到着。このSA付近の中央道下り線で先日大きな事故がありました。
諏訪SAの売店で五平餅を買うのが習慣です。今日は桜ステーキが美味しそうだったので、思わず買ってしました。
帰路は、往路に比べると運転に慣れてくるためか、疲れを感じません。舞鶴若狭道、北陸道、名神高速、中央道ともに渋滞もなく、雨も小降りだったので、予定よりも早く山梨県内に入りました。途中、一宮の釈迦堂SAに寄って、桃の開花状況を見てきました。釈迦堂SAに車を駐めて、側道に出ると、ブドウ棚や桃畑が広がっています。
桃の花は一、二分咲きといったところでしょうか。蕾が膨らんでいるので来週末あたりが見頃になるように思います。
釈迦堂SAから少し歩いてブドウ棚の間を抜け、大きな桜の木があるところまで行きました。
SAはし高いところにあり、そこから少し下ったところに桜の木があります。SAからも見えます。
神社の境内の桜の木で、樹齢何年か分かりませんが、大きな木が3本あります。
境内の奥にテントが張ってあり、地元の方がお祭りの準備をしていました。
中央道を利用するとき、行きは中央道駒ヶ岳SAと北陸道賤ヶ岳SAの2箇所が休憩地にしています。帰りは、名神高速養老SAと中央道諏訪SAの2箇所が休憩地です。帰りの出発が遅くなった場合は、諏訪SAが駒ヶ岳SAになることが多いです。
綾部から山梨の自宅までの走行距離は約500kmす。今朝7時に出発し、途中釈迦堂SAに立ち寄り、午後1時過ぎに到着しました。6時間の走行でした。釈迦堂SAに寄っていなければ6時間を切っていたと思います。2日間で1,000km走ったことになります。走行しながら考えることは、いつまでこんな距離を運転出来るかということです。義叔母が健在な間は、年に何度か綾部に行かなければなりません。車の運転に不安を感じるようになれば、電車で行き、現地でレンタカーを借りることになるかと思っています。これまでも雪のために電車で行ってレンタカーを借りたことが何度かあります。
*********** 今回の綾部行きの目的 ***********
第一の目的は、義叔母の様子を見ることです。子供がいなく、夫は亡くなっているので、身寄りはになるのは甥の私くらいです。夏が来れば満90歳になります。この10年間に右と左の大腿骨骨折で2度手術をしているため、歩行が困難で車椅子での生活です。若干認知症がありますが、私との会話は普通に出来ます。受け答えはしっかり出来ますが、毎回合う度に同じことを話すことが多いです。
昨日は綾部に到着後、そのまま義叔母が入っている施設(老健)へ行き、施設から届いていた施設利用の申請書類を提出した後、義叔母の部屋に行き1時間ほど話をしてきました。
施設から市役所へ移動し、義叔母の「臨時福祉給付金の交付を受けるための必要書類を提出してきました。市役所でのもう一つの用件は、高齢者の医療費補助金給付の振り込み先の変更でした。登録されている義叔母の口座は、ほとんど出し入れをしていないので、別の金融機関の口座に変更する手続きをしました。
これらの窓口は高齢者健康・福祉関係の課です。本館でなく、別館です。最初に市役所へ行ったときには、市役所の場所すらうろ覚えで、道を1本間違えて入ったりしましたが、最近になってようやく位置関係が分かるようになってきました。別館(西館?)にどんな課があるのかも分かってきました。地元山梨の市役所よりも分かります。
市役所の用事を済ませた後、三つ目の目的である、M氏の「世界やりくり旅行スケッチ展」を見るため、ギャラリー・カフェ「日々」へ行きました。M氏はJR東日本 取締役事業管理部長を務められた方で、退職された後、綾部にIターンされ、地域のために多様な分野で活躍されています。
現役時代に仕事やプライベートで世界各地を訪問され、訪れた場所でスケッチを多く描かれ、また、当時の記録など多くの資料を保存されています。今回のスケッチ展にはスケッチ画だけでなく、資料や当時書かれたメモなども展示されていました。
「世界やりくり旅行スケッチ展」は昨日が初日で、午前中にはM氏の奥様のオカリナ・コカリナのグループの演奏会もあっりましたが、残念ながら私はお聴きすることができませんでした。
午後2時半頃、ギャラリー日々に着きました。M氏には会えないだろうとあきらめていましたが、中に入ると、多くの人がいて、その中にM氏ご夫妻もいらっしゃいました。一目見てM氏だと分かり、お声をかけましたが、他の方と話をされている最中だったので、チョット挨拶をして、私は展示されているスケッチ画を見たり、テーブルに並べられている資料などを拝見して、カウンターでコーヒーを頂いていました。暫くして、M氏がカウンター席の方へ来られました。M氏のお宅と私が生まれた官舎はすぐ近くでした。M氏とは年が離れているので一緒に遊んだり話をしたりしたことはありません。昨年、facebookでM氏のことを知るようになり、facebookでの友達になっています。
元のスケッチ画は黒一色で描かれていたそうです。今回の展示会のため、色づけをしたとおっしゃっていました。
家族やご兄弟のこと、私の実家のある志賀郷のことなど、1時間ほど話をお聞きしました。
M氏はグルメ通でワインや日本酒などにも詳しく、アウトドアではカヌーに乗ったり、若い頃には山登りもされています。大変気さくな方で、その人柄から多くのM氏ファンがいます。今回お会いして、親しく話をさせていただき、私もファンになりました。
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コメント
_ くんぱん ― 2017-04-09 09:48
_ ykita ― 2017-04-09 16:38
くんぱんさん、こんにちは
ご心配いただきありがとうございます。
60で退職し、これから悠々自適の生活が送れると期待していましたが、3月31日に退職して一週間後に義叔母が骨折して入院しているとの連絡があり、綾部に行くようになりました。しばらくは義叔母を私と近くに住む甥が看ていましたが、間もなく甥が肺がんで亡くなって、私一人で看ることになって久しいです。
お母様の介護を自宅でされ、ご家族に見守られて、お母様も幸せだったのではないかと思います。義叔母はリハビリをして少し歩けますが、転倒すると困るので車椅子での生活になっています。義叔母は末っ子で、姉妹は長寿で95歳前後で亡くなっているので、まだ、数年、綾部通いが続きます。
五平餅が好物だというのは笑われそうですね。学生時代に自転車で馬篭・妻籠を訪れたときに初めて五平餅を食べました。腹が空いていたこともあったと思いますが、そのときの味が忘れられず、五平餅があるとついつい買ってしまいます。
伊那・高遠のあたりを通過するとき、くんぱんさんのお住まいが近くだと思って案内板を撮りました。伊那あたりに来ると周りが拓けていて田畑が広がっていますね。畜産も盛んなようで牛舎など見かけました。伊北ICの近くだと、辰野町、箕輪町、伊那市が入り組んでいますね。
ブログの内容ががあちこちに飛んでいますので、読まれている方には申し訳ないです。オカリナとコカリナ、私も詳しくは知りません。多分大きさの違いかなと勝手に思っています。
娘さんのところへ行かれて、今回が最後かなとおっしゃったこと、私もよく分かります。バスや電車を乗り継いで、長時間の移動は精神的にも体力的にも疲れますね。くんぱんさんはおいくつになられたのでしょうか?私は昭和22年生まれの69歳で、。今年8月には70歳になります。長距離ドライブができるのも、あと数年かなと思っています。
キュウリとその台木、予定通りの発芽ですね。やはり暖かくなって種まきをした方が良い結果が出ますね。接ぎ木が上手く行きそうな予感がします。
ご心配いただきありがとうございます。
60で退職し、これから悠々自適の生活が送れると期待していましたが、3月31日に退職して一週間後に義叔母が骨折して入院しているとの連絡があり、綾部に行くようになりました。しばらくは義叔母を私と近くに住む甥が看ていましたが、間もなく甥が肺がんで亡くなって、私一人で看ることになって久しいです。
お母様の介護を自宅でされ、ご家族に見守られて、お母様も幸せだったのではないかと思います。義叔母はリハビリをして少し歩けますが、転倒すると困るので車椅子での生活になっています。義叔母は末っ子で、姉妹は長寿で95歳前後で亡くなっているので、まだ、数年、綾部通いが続きます。
五平餅が好物だというのは笑われそうですね。学生時代に自転車で馬篭・妻籠を訪れたときに初めて五平餅を食べました。腹が空いていたこともあったと思いますが、そのときの味が忘れられず、五平餅があるとついつい買ってしまいます。
伊那・高遠のあたりを通過するとき、くんぱんさんのお住まいが近くだと思って案内板を撮りました。伊那あたりに来ると周りが拓けていて田畑が広がっていますね。畜産も盛んなようで牛舎など見かけました。伊北ICの近くだと、辰野町、箕輪町、伊那市が入り組んでいますね。
ブログの内容ががあちこちに飛んでいますので、読まれている方には申し訳ないです。オカリナとコカリナ、私も詳しくは知りません。多分大きさの違いかなと勝手に思っています。
娘さんのところへ行かれて、今回が最後かなとおっしゃったこと、私もよく分かります。バスや電車を乗り継いで、長時間の移動は精神的にも体力的にも疲れますね。くんぱんさんはおいくつになられたのでしょうか?私は昭和22年生まれの69歳で、。今年8月には70歳になります。長距離ドライブができるのも、あと数年かなと思っています。
キュウリとその台木、予定通りの発芽ですね。やはり暖かくなって種まきをした方が良い結果が出ますね。接ぎ木が上手く行きそうな予感がします。
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母も、何度か転びましたが、大丈夫でした。諏訪SAは初めてこちらに来た時、息子が止めてくれました。五平餅はちょっとしたお祭りの時はよく見かけます、たれが、口の周りについて。。。伊那、高遠の案内板も撮ったのですね、一番近いのが、伊北インターです、下りから見ると、右側の方になり、インターから7分もあれば家に着きます。このコメント書いていても寄り道しながら書いています、オカリナ・コカリナの所では、動画見たりしてその後はギターの
動画、コメントに戻るのも大変です。この間、いわきまで行きましたが、家に着く前に、女房に
ここへ来るのも最後かも知れないと小声で言ったのです。その後、娘が女房に言ったそうで、お父さんたちこれが最後かなーと言ったそうで、感づいたかのかなー。この歳になると、長距離の移動が大変になりました。ykitaさんも気を付けてください。キュウリが6日辺りから芽が出始めました、黒種南瓜は、昨晩から芽が出てまいりました。3日位の遅れで台木がでましたので、台木の播種の追加はやめようと思っています。長い旅、本当に、大変でしたね。