ブログ「毎日が日曜日」内の検索

今朝の気温氷点下5℃2014年12月26日 16時48分

[霜除け] ブログ村キーワード

*********** 12月24日(水) ***********
 義叔母のところへ出かけるため、いつもより早く起きました。午前7時、まだ、朝日が当たりません。東の空に太陽の光だけが見えました。
画像1(24日朝の東の空)

画像2(24日朝の東の空)

 8時過ぎ、自宅を出発。通勤時間帯なので車が多いですが、順調に流れていました。富士吉田の富士見バイパスに入ると、正面に富士山が見えました。
 三島駅に10時前に着き、パーキングに車を預けて新幹線に乗り込みました。予定していた電車よりひとつ前のこだまに乗ることが出来ました。予定では名古屋で乗り換えなければならなかったですが、新大阪行きのこだまに乗ることが出来たので、乗り換えは一回で済みました。綾部には午後2時過ぎ到着し、ホテルにチェックインしてからレンタカーで市役所、病院、老健、再び、病院とまわったあとホテルに戻ってきました。
 義叔母の退院が翌日だったので、病院では担当医や看護士から義叔母の状態を聞いたりしました。午後4時に義叔母が退院後に入所する老健へ行き、入所手続きの書類を書いたり、担当者や栄養士、看護士に義叔母の状況を伝えたり、説明を聞いたりしました。
 入所手続きを終えた後、義叔母が入院する前に入っていたケアハウスへ行き、義叔母の部屋から退院時に着せる厚手の服やズボンを持って病院へ行きました。ケアハウスは、今月の退所申し出だと翌月末の退所になるため、来月待つまで使用できます。当然、使用料等は支払わなければなりませんが...。
 病院に戻って、クリーニング代の支払いを済ませるため、業者に電話をかけ病室まで集金に来てもらいました。
 綾部駅に着いてから、いくつかの用事を済ませるため、休む時間を惜しんで精力的に動き回りました。ホテルに戻って来たときには午後7時を回っていました。
画像3(富士山)

*********** 12月25日(木) ***********
 今日は義叔母の退院の日です。退院予定時刻は10時でしたが、8時過ぎに病院に行きました。昨日はよい天気でしたが、この日は空は曇っていて小雨が降っていました。
 病室にある荷物を何度かに分けて車まで運びました。病院は外来患者で混んでいて駐車場も車で埋まっていました。少し離れた場所に車を停めたので傘をさして荷物を運ぶので、結構大変でした。
 前日、看護士や医師からの話で、義叔母の右足親指の爪が丸まっていて肉に食い込んでいるので先の窄まった靴ではなく、先がないサンダルのような靴があるので、そういう靴にすれば治ると云われていました。病院の前に介護用品の店があり、9時の開店と同時に店に入り靴を買いました。かかとは一般の靴と同じようにあり、先端だけが開いている靴です。義叔母の靴のサイズは22.5ですが、店には23と24のサイズしかありませんでした。介護用の靴のサイズは1センチ刻みだと店の人は言っていましたが、ネットで調べれば22.5のサイズもあるようです。先端が開いている靴なので22でも良いかと思いましたが、取り寄せになるとのことだったので店にあった23サイズを買ってきました。義叔母に履かせてみて大きいようだったら返品することを伝えておきました。病室に戻り、義叔母に履かせてみましたが、若干大きいようでした。これからもリハビリを続けることになるので、大きすぎて歩きづらいのでは困ります。判断に迷ったので、ナースステーションへ行って看護士を呼んできました。看護士も少し大きいようだといっていましたが、この程度なら支障はないだろうというので、返品しないことにしました。早速、サインペンで義叔母の名前を書き入れておきました。
 10時までの間、病室にいましたが、義叔母は時々居眠りをしていました。看護士が退院後1ケ月分の薬を持って来たり、相談員が入所先の担当者あての書類、診断書などを持って来たり、入れ代わり立ち代わり病室に入ってきました。
 10時を過ぎ、そろそろ退院かと待っていましたが、介助をしてくれる看護士がやってきません。10時半になってようやく看護士が車椅子を持ってやってきました。義叔母を看護士に任せて、私は1階に下り、車を病院の正面玄関に横づけしました。看護士の介助で助手席に乗せ、相談員や看護師に見送られて、これから入る施設へ向かいました。
 施設に着くまでの間、義叔母は一言もしゃべりません。不安に感じているのではないかと思い、こちらからいろいろと話しかけながら施設に行きました。
 施設に到着後、義叔母は車椅子に乗せられホールのテーブルについていました。11時入所だったので、到着後すぐに昼食になるようでした。私は病院から預かって来た書類や薬を事務室の担当に、病院から持って来た衣類や日用品などを義叔母の世話をしてくれる人に渡しました。義叔母が入る部屋は個室でした。他に2人部屋と4人部屋がありますが、いずれも空きがなく個室になってしまいました。
 帰り際に、再び事務室により、健康保険証や介護保険証などを預け、支払い方法の確認をして施設を出ました。その後、隣のケアハウスへ行き、担当者に老健に入ったことを知らせておきました。
 施設を出た時には正午近くになっていました。ケアハウスの義叔母の荷物の一部を実家へ持って行くつもりでしたが、雨が降っていたので、今回は止めました。年が明けてから、もう一度行って、ケアハウスの家具や衣類などを運び出そうと考えています。
 今回の主な目的は義叔母の退院と施設への入所をさせることでしたが、もう一つ、やっておかなければならないことがありました。それは、実家の山や田畑の名義変更です。私の父母はすでに亡くなり、田畑等を私が相続することになっています。田舎の土地なので価値がほとんどありません。そのため、名義変更をすることを延び延びにしていました。私自身が高齢になり、義叔母のこともあるので、ここで思い切って手続きをすることにしました。
 ケアハウスを出た後、昼を少し過ぎていましたが、市内の司法書士を訪ねました。事情を話して相続による名義変更を依頼してきました。
 代々受け継がれてきた土地なので、田圃など広い土地から数坪ほどの小さな土地まで何十か所にもなります。地名を見ても、それがどこにあるのかさえ分かりません。そんな話を司法書士にしたら、そういう例はよくあることだと云っていました。
画像4(25日朝、ホテルの窓から)

 司法書士の事務所を出たときには午後1時少し前でした。帰りの電車は、1時間おきに京都行きの特急が出ているので、午後1時の特急に乗り遅れれば1時間待たなければなりません。レンタカーのガソリンを満タンにし、駅前のホテルに戻ってレンタカーを返し、急いで駅に行きました。ホームに着いてすぐに電車が入ってきました。
 京都からの新幹線もホームに上がったところでのぞみが到着し乗り込むことが出来ました。のぞみは三島駅には停車しないので、名古屋でこだまに乗り換えました。この時も待つことなく乗り込むことができ、三島には夕方5時過ぎに到着しました。途中、夕飯を食べ、7時過ぎに自宅に帰ってきました。
画像5(25日、タブレットのスピードメーター)

 綾部での行動は時間との戦いでしたが、新幹線に乗っている間はやることがありません。持参したタブレットを持ち出して、スピードメーターのアプリを起動してみました。こだまのスピードを測ってみました。駅を出て加速を始めると、スピードの表示がどんどん上がって行きます。GPSにより場所を特定し、時間と距離でスピードを割り出しているソフトです。衛星までの距離があるので正確ではありません。自宅で起動させると、タブレットが静止しているときは0km/hになりますが、こだまが駅に停車しているときは何故か1.8km/hになっていました。
画像6(25日、タブレットのスピードメーター)

*********** 12月26日(金) ***********
 前日までの2日間の行動から一変し、今日はのんびり過ごしています。
 朝の気温が氷点下5℃でした。綾部にいたときは最低でもプラスの気温だったので、寒さを強く感じてしまいます。
画像7(霜が降りた畑のソーラーパネル)

 畑も野原も霜が降りていて真っ白です。
画像8(霜が降りた冬菜)

 寒さに強い冬菜ですが、最低気温が氷点下に下がると葉も茎も寒さで萎れてしまっています。
画像9(霜が降りた冬菜)

 霜に当てるとダメになる春菊ですが、寒冷紗を上にかけていたので、ダメージは少ないようです。この寒さが続くと、葉が黒くなりやがて枯れてしまうので、ビニールシートのトンネルにしてみました。隣の畝の水菜も心配なのでビニールシートのトンネルにしておきました。日中、晴れると、トンネル内の温度が上がりすぎるので、日中は裾を開け、夕方下ろして寒気に直接触れないようにしたいと思っています。
画像10(水菜と春菊)

 カリフラワーは、まだ、花蕾が見えません。昨年は、この頃に初収穫だったように記憶しています。成長が遅れているようです。ネットで覆ってありましたが、南側半分だけをビニールシートに変えました。
画像11(カリフラワー)


ブログランキングに参加しています。一日1回のクリックをお願いします。

にほんブログ村 花・園芸ブログ 野菜のみ(家庭菜園)へ