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義叔母のところへ行ってきました2014年12月12日 16時43分


*********** 12月11日(木) ***********
 前の日に、義叔母が入院している市立病院の相談員やかかりつけの病院の相談員、検討している施設の担当者などと電話で話をしました。義叔母の退院後の入所施設に申し込みをしたり、直接、各担当者と話をしたりするため出かけることにしました。
 朝7時過ぎに自宅を出発しました。出かけるときは気温が7℃でしたが、笹子トンネルを抜けて甲府盆地に入ると急激に気温が下がり、南甲府のあたりでは2℃でした。先月21日に家内を連れて出かけた時と同じく、FITのエマージェンシーブレーキが機能しなくなる症状が出ました。その後、長野に入ると気温が少しずつ上がって来て、パネルの異常メッセージは消えました。メッセージは”シティーブレーキアクティブシステムが作動していません、レーダーが汚れている可能性があります”と、いうものです。実は、今朝(12日)朝、ホテルを出発するときにも小名jメッセージが出ましたが、しばらく走っているうちに表示されなくなりました。私の憶測ですが、多分、気温が下がった時にメッセージが表示されるように思います。その原因はエマージェンシーブレーキシステムの電圧が下がるためではないかと思っています。バッテリが電源だとすると、気温が下がり、バッテリーが冷え込んでいると電圧が下がるので、ある電圧以下になるとエマージェンシーブレーキが作動しないようになっているのではないかと思います。

 長野県内では霧が出て雨も降っていました。外気温が6℃~8℃くらいあったので、雪にはならず、路面も凍ることはありませんでしたが、途中で2件、追突事故がありました。1件は岐阜県内で、もう1件は福井県内でした。
 米原JCTから北陸道に入り、賤ヶ岳サービスエリアのあたりから道路脇や民家の屋根に雪がありました。
 この日は出発した自宅付近と京都府内を除いて、全行程で雨と霧でした。
画像1(北陸道)

 市立病院には午後1時過ぎに到着しました。約6時間のドライブでした。早速、病院の受付へ行き、11月分の入院の支払いをして、4階の義叔母の病室へ行きました。退院後の施設の申込書に、本人の現在の状態などを記入する用紙があり、義叔母に聞きながら記入をしているところへ看護師が病室に入ってきました。記入項目で分からないところもあったので、看護師に残りの部分の記入をお願いして書いていただきました。
 義叔母の衣類等の洗濯を外部の業者に依頼しています。先月21日に業者に電話を掛けて病室まで来てもらい支払いをしたので、今回も電話をして来ていただきました。請求書には220円とあり、もう一枚領収書を持ってきていて、それには5,520円となっていました。業者の方に話を聞くと、今日午前中、クリーニング屋さんにパンを売りに来た方が払ってくれたそうです。支払てくれた方は、パンを作っている人で、売りによく来るそうです。名前を聞いてみましたが、業者の方も知らないと云っていました。病院に出入りしているクリーニング屋さんであることは、入院した方やその家族であればわかると思いますが、義叔母が入院していることを知っている方は私の外には、義叔母の実家の甥の奥さんしだけです。しかし、その奥さんがパンを作って売っているということは聞いたことがないので、義叔母の洗濯代を支払ってくれた方は別の方だろうと思います。クリーニング店の業者の方に、今度会った時に名前を聞いておいてくれるように頼んでおきました。何故、義叔母の洗濯代を払ってくれるのかよく分かりません。
画像2(北陸道)

 1時間ほど病院にいた後、義叔母が退院後に予定している、老人健康施設へ行き、申し込みをしてきました。この施設は、義叔母が大腿骨頸部を骨折する前に入っていたケアハウスの隣にあります。今月25日ころになると一人空きが出るので入れそうだとのことだったので、申し込みをしました。義叔母の退院後のことについては、病院の相談員にお願いをして探してもらいました。入所できるかどうかは、施設内で検討会を開いて決めるため、早くても来週にならないと確定しません。

 義叔母の老健への入所については、行きつけの病院で処方されている薬が問題になっていました。義叔母は血圧が高いので高血圧治療の”アバプロ”という薬を処方されています。”アバプロ”という薬は老健で処方できません。それでは老健から通院すれば良いということになりますが、国の規定で老健には医師がおり、老健で医療保険を使うため、かかりつけの病院で処方された薬は医療保険が利かないので、その金を老健側で負担しなければならなくなるようです。そのため、かかりつけの病院で処方してもらいたいなら、一旦、老健を退所し、数日間(おおよそ2泊3日)自宅なり、他の施設(例えば特別養護老人ホーム)のショートステイで過ごし、改めて老健への入所手続きをして入ることになるそうです。老健に医師が常駐するため、医療保険の二重取りをしないための規則のようです。また、老健はリハビリなどを中心に行い、回復後、老人を自宅に返す施設なので、病院などと同じく3カ月間の入所となります。ただ、老健側では、三カ月後に判定をして回復状態にない場合には入所をさらに3ケ月間延長することが可能です。
 義叔母に処方されている高血圧の薬が老健で出せないと云われてきたので、市立病院の相談員やかかりつけの病院の相談員、老健の担当者などと相談をしてきました。かかりつけの病院の医師に”アバプロ”に代わる薬で、老健でも処方できるものがないかということを、最初に調べてもらったのですが、期待できるような回答が得られませんでした。
 申込書を出しに老健へ行った際に、最悪の場合は退所して通院することになるのではないかと覚悟していました。老健の担当者に書類を出し、不備がないことを確認してもらった後、薬の件について私の方から話を始めました。担当者は老健の医師が処方できる薬なら問題がなく、家族が老健の医師に任せてもよいということなら、老健で処方できる高血圧の薬を処方するようにしたいとのこと。その話を聞いた時には、一瞬、自分の耳を疑いました。老健からは義叔母に処方されている薬の中に老健で対応できないものがあると、いうことでした。その薬がどんな薬なのかは云わないので、私も知りませんでした。前日、かかりつけの病院の相談員から高血圧の”アバプロ”という薬であることを知りました。市立病人の相談員が入所の問い合わせをしたときに、”家族が承諾すれば老健の医師の方で処方します”ということを伝えてもらえれば、こんなにいろいろと心配することはなかったと思います。紆余曲折がありましたが、とりあえず、施設への申し込みが出来、薬のことも解決したので一件落着といったところです。
 老健を出た後、隣にあるケアハウスへ行き、担当の方に義叔母の現在の状況等を伝えました。担当者の方から、12月の退所届だと来年1月末までの入所になるとのことで、その間の経費を支払わなくてはならないそうです。ただし、12月中に入所する人があれば、その限りではないと云われました。既定では退所の1ケ月前に届け出るということ、しかし、対処することを告げた月に入所希望者があれば、1月分は支払わなくてもよいということです。納得出来ないおかしな話です。急に退所しなければならない場合が高齢者であればありうることです。先月8日に大腿骨を骨折し、その日のうちに入院し、10日に手術をしています。ケアハウスが自立した老人が入る施設であるなら、義叔母が退院後ケアハウスに戻れる可能性は極めて低く、そのことは11月の段階で担当者に伝えてありました。その時点では可能性としての話なので、はっきりと対処しなければならないということは伝えられませんでした。また、退院後の受け入れ先が11月中には見つからず、12月に入ってからだったので、義叔母の回復状態を診ながら決めざるを得ませんでした。ケアハウスの担当者の話に納得がゆきませんが、これまでにお世話になったことや今後義叔母が歩けるまでに回復すれば再びお世話になるかもしれないので、一応、1月分まで支払いをすることにしました。
画像3(北陸道)

 ケアハウスを出た時には午後3時を過ぎていました。この後、JA農協へ行って、実家の家屋にかけてあった火災・自然災害等の保険について相談することになっていました。JAに着いた時には午後3時を少し回っていたため、入口がしまっていました。前もって担当の方には連絡してあったので、建物の裏にある職員の通用口のインターフォンで用件を伝え、建物の中に入ることが出来ました。
 義叔母が平成16年6月に掛けた保険が満期になり、満期返戻金を義叔母の口座に振り込んでもらいましたが、実家の家屋に今年6月から保険が掛けてないことになっていました。改めて、保険を掛けるため相談に行きました。義叔母名義の家屋なので、契約者や満期の際の受取人が義叔母であることが一般的だと思います。しかし、義叔母は高齢であり、5年契約にしても満期を迎えるときには92歳になっています。普通に話をすることができますが、昨日の事を覚えていないような状況なので、5年後、10年後になれば、受け答えが全くできなくなっているかもしれません。今年6月に満期になったことを知らせる通知を送って頂いたようですが、実家に義叔母がいないためあて先不明でJAに戻ってきていたようです。義叔母は施設を転々と変わる可能性もあるので、現住所を施設に移すことができません。市役所などではこちらの事情を伝え、医療給付金などの通知が山梨の私のところに届くようになっています。家屋に掛ける保険なども、その通知が私のところに届くようになれば、もっと早い段階で満期返戻金を受け取ることが出来たのではないかと思います。6月の時点で義叔母の口座に入っていれば、僅かでも利子が付いたのではないかと思います。
 契約者、受取人を私にして義叔母名義の家屋の保険を掛けることができるのか、できたとしても義叔母に万が一のことがあった場合の相続の問題などと絡んで難しくなるのではないかなど、JAの担当者と相談しました。そして、どういう方法が良いか、いくつか提案してほしいと伝え帰ってきました。
 JAを出たのは午後4時。ホテルへのチェックインを午後5時と伝えてあったので、ホテルへ直行しました。今回は、いつも宿泊するホテルが満室で予約が取れなかったので、隣の福知山のホテルに宿泊することになっていました。初めて泊まるホテルで、隣町の地理に不案内なので、少々不安を抱えながら、カーナビを頼りにホテルに行きました。
 この日は綾部に着いてから休む暇もなく、次々と、病院や施設を回り、用件を片付けました。ホテルで少し休み、夕飯と翌日の朝食の買い出しにホテルの地あくの店まで歩いて行き、ホテルに戻ってきました。朝7時から夕方6時まで行動し、この日は結構疲れました。

*********** 12月12日(金) ***********
 昨夜は早めに寝ましたが、早く寝たためか、深夜に目が覚めてしまい、その後、なかなか寝付かれませんでした。今朝は6時前に起き、8時みホテルをチェックアウトして病院へ行きました。昨日、申し込みをしたことなどを病院の相談員に伝える約束がしてあったので、義叔母の病室に入る前に、ナースステーションで私が来たことを相談員に伝えてもらいました。br>  相談員と会って、昨日、申込書を老健に提出したことや薬の件を伝え、申込書に必要な健康診断書が、まだ、出来上がっていないので、相談員の方から健康診断書ができ次第、老健にfaxで送ってもらうように頼んでおきました。
 病室に戻り、義叔母と少し話をして、9時半に綾部を後にして山梨へ向かいました。今夜から明後日日曜日にかけて寒気が南下し、日本海側は大雪になる可能性があるとの天気予報だったので、早めに帰路に向かいました。
 舞鶴・若狭道では激しく雨が降っていましたが、北陸道に入ってからは次第に天気が回復し、心配していた長野県内では昨日とは違い、日差しもあって快適なドライブになりました。
 自宅には午後3時10分に到着しました。所要時間は5時間50分でした。

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