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日常の生活に戻りつつあります2012年02月07日 22時31分

[風景] ブログ村キーワード

***** 義父の葬儀 *****
 義父が亡くなった時に病院から葬儀屋さんに電話をしました。市内に3カ所あり、最初にかけたセレモニーホールは2月4日でないと空いていないと言うので、2つ目のJAのセレモニーホールになりました。このホールは会葬者が外で待つことになるので、できれば第一候補にしたかったのですがやむを得ません。
 1月30日夕方、義父宅で隣組の方が集まり、葬儀の打ち合わせをしました。義父の住んでいた場所は、我が家の隣町にあたるので、私の住む町のしきたりとは違っています。集まって頂いた組の方達に挨拶をした後は、喪主である私は場を外すように云われました。打ち合わせが終わった後に報告があるのかと思ったのですが、それもなく皆さん帰って行かれました。私の住んでいるところでは組の人達の打ち合わせに喪主が同席し、喪主側の希望を伝えたりしていましたので、あまりに違っていて戸惑いました。
 人が住んでいなかった義父宅は寒さで冷え切っていて、水道の水が出なくてファンヒーターで部屋を暖めました。それでも凍結していて出なかったのですが、幸い、外の水道から水が出ることが分かり、お湯を湧かすことができました。
 1月31日が通夜、2月1日が葬儀 告別式でした。寒さが厳しいものの雪や雨になることがなくて良かったと思います。通夜の泊まり込みを義妹の夫と私の長男に頼み、私たちは自宅に戻ってきました。翌2月1日は朝9時30分の火葬となっていたので、8時には葬儀場に行きました。義父と最後の別れをして、火葬にしました。
 火葬場では少しアクシデントがあり、お骨を拾って葬儀場に戻ってきたのは告別式が始まる15分前でした。告別式、繰り上げ初七日を終え、お骨と共に自宅に帰ってきました。本来なら義父宅で納骨までの間、供養すべきなのですが、義父宅には主がいなくなって無人状態なので、私の家にお骨を置くことにしました。昨年、義父が我が家で過ごした和室に、葬儀屋さんが来て祭壇を作り、飾り付けをしてくれました。
 その日の夕方、私と家内、義妹夫妻の4人で、お手伝い頂いた義父宅の隣組の方々の家を回り、御礼の挨拶をしてきました。組の軒数は18ですが、実際にお手伝い頂いたのは16軒でした。
 この町(義父は村内と呼んでいました)の世帯数は約150軒あるそうですが、会葬者の名簿を調べると、そのほとんどのお宅から葬儀にお出でいただいていました。義父が生前、冠婚葬祭がある度に出向いていたので、このような数になったのではないかと思っています。
画像1(朝の空)
2月6日午前8時

***** 義父の葬儀を終えて *****
 葬儀を終えた翌2月2日からは、葬儀に来られなかった方が自宅に来られ、家を空けることが出来ません。葬儀のため帰ってきていた私の子供達は、それぞれ戻って行き、最後まで残っていた義妹も5日(日)に東京に帰りました。我が家は久しぶりに家内と二人だけになっています。
 77忌の法要の日取りをお寺と相談して決め、法要の後の会食の予約を取りました。義父の後期高齢者医療保険証、介護保険証、水道、固定資産税、住基カードを市役所に返却し、手続きを取りました。年金関係の書類提出のため、日本年金機構などに電話で問い合わせもしました。昨日と今日の2日間、市役所や日本年金機構の事務所へ出向きましたが、遅々として手続きが進んでいません。明日からも、自動車の名義変更などの手続きで出歩くことになりそうです。
画像2(30分後の朝の空)
2月6日午前8時30分

***** 義父のことが思い出されて *****
 葬儀後も忙しい毎日ですが、日に何回となく義父のことが思い出されます。
 義父が息を引き取ったのは1月29日午前9時43分でした。その30分前に私は義父のベッドサイドに到着しました。義父が待っていてくれたように思います。それだけではなく、亡くなった日は義母の誕生日でした。義父は自分の命を義母に与えて死んでいったのではないかと思えます。義父は癌に罹らなければ、もっともっと長生きしたはずです。義父の父親や兄は90歳を越えるまで生きていました。義父が亡くなる前日、ベッドサイドで目をつむっている義父を見ると、年相応の85歳の老人には見えませんでした。やつれてはいましたが、もう少し若く見えました。
 義父が我が家に来ていたとき、入院ししていたときは、義父も私たちも助からない病であることを暗黙のうちに理解していました。そのため、私たちは、義父が苦痛を受けないように、心穏やかに過ごせるようにと、そのことだけを考えて、義父の世話をしてきました。義父のために何が出来るか、そのことだけを考えて看病してきました。
 義父がいなくなった現在、これからは私たちの都合で、義父のことを考えることになります。生きている者にとって、心安らかに過ごせるために義父のことを考えます。以前、実父が亡くなったときに、葬儀のお経をあげてくれた住職に、実父の亡き後、何をどのようにするのかをたずねたことがあります。そのとき、「何も難しいことはなく、自分たち、生きてる人が平安であるようにすればよい」とおっしゃいました。77忌の法要をして義父を供養したいと考えれば、そうすればよいということです。
画像3(夕方の空)
2月6日午後5時30分
 義父が亡くなってから一週間になりますが、ずっと昔のような気がしてなりません。1ヶ月間の入院でしたが、雪が降った日もあり、家内も、義妹も、私も、いつまで続くか分からない中で24時間、義父の付き添いをしてきました。食事をする機会を逃したことも度々あります。昨夜、体重を量ったら3キロ減っていました。若干、太り気味だったので、ベスト体重に近づいてきたのではと思っています。残された私たちは、健康に留意して、命を大切にし、義父よりも長生きできるように頑張って行けたらと思います。それが義父への恩返しになるのではと思っています。


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