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悲しい一日でした2012年01月29日 21時42分

[富士山] ブログ村キーワード

 こんな日にブログを書くのも憚れるのですが、今の気持ちを含め文字に表しておきたいと思います。
 昨夜から容態が急変した義父が、今朝方、静かに息を引き取りました。今回の入院が最後となりました。入院してから、丁度1ヶ月になります。
 昨日はほとんど目をつむっていましたが、こちらからの問いかけにはうなずいたりしていました。血圧の低下が進み、SpO2の値も下がってきていたので、昨夜から酸素マスクをかけていました。今朝、容態を心配して担当医が診てくれました。昨夜から泊まり込んでいた家内から電話があり、出来るだけ早く病院へ来て欲しいとのことでした。家内とは昼に交代する予定でしたが、早めに家を出て9時15分には病室にいました。心電図は正常に見えましたが、次第に血圧が下がり、SpO2もゼロに近くなることが多くなり、呼吸が停止しました。耳元で呼びかけたり、体をさすったりすると、一呼吸をしましたが、その後は反応がなくなりました。1月29日午前9時43分、医師から「ご臨終です」とのことばを受けました。
画像1(病室から見た最後の富士山)
 先ほどまで聞こえていた呼吸音が止まり、病室内が静寂につつまれました。担当医と看護士、私たち夫婦は無言のまま、暫く、義父の顔を見つめていました。
 担当医と看護士が病室を出て行き、しばらくして、別の看護士数人が義父の体を拭いたりして処置をしてくれていたので、デイルームに行って、真っ先に知らせなければならない、昨夜東京に戻った義妹や親戚などに義父の訃報を知らせ、再び、病室に戻りました。家内は一足先に義父宅に戻り義父を受け入れる準備などをすることとし、私は葬儀屋の霊柩車が来るのを病室で待っていました。20分ほどの間、義父と私だけの病室でした。窓から見える富士山を、個室に入ってからは毎日眺めることが出来ました。それも今日が最後かと分かり、窓越しに富士山を撮影しました。
 11時20分になって、地下の霊安室前に霊柩車が到着し、看護士さんと共に義父を地下まで下ろし、担当医や看護士が見送る中、義父の自宅に帰ってきました。
 私の母の時は自分の車に母を乗せて1時間かけて自宅に連れ帰っりました。義父の場合は霊柩車を先導するかたちで、私が自分の車を運転し連れ帰りました。
 自宅に戻った義父を寝かせ、祭壇を作ったりしているところに、ご近所の方や親戚の方々がお悔やみに来てくれました。これから義父の葬儀のため、落ち着いて義父と対面していることが出来なくなるだろうと思います。家内も昨夜から寝ていない状態で、体力的には相当疲れていますが、気が張りつめているためか、それを感じません。義父のために立派な葬儀をしてやりたいという気持ちが支えになっているように思います。無事、葬儀が終わるまで頑張るつもりです。


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コメント

_ 桜桃 ― 2012-01-30 23:09

こんばんは

お義父さま お悔やみ申し上げます

そして 看病お疲れさまでした
奥さまもかなりお疲れの事と思います
忙しい日々が続くと思います
また この寒さです 
どうぞ お身体にはお気を付けてくださいませ

_ 幸 ― 2012-02-02 13:05

始めまして  私も昨年12月17日から 同様な別れを 喪主としてしました 7年前には母 今度は95歳の父でした 遺産相続 49日も済 ようやく落ち着いたところです 元気で頑張ってください

_ ykita ― 2012-02-07 21:10

桜桃さん、幸様、コメントありがとうございます。
葬儀を終えるまでのあわただしさと共に、様々な手続きなどで、あっという間に1週間が過ぎました。まだまだ、しなければならないことが続きますが、体を休めながらやって行きたいと思っています。
労いや励ましのお言葉をいただき、感謝申し上げます。

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