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道路の渋滞2012年01月24日 17時42分

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***** 晴れ渡った朝 *****
 今朝は、昨夜の雪はあがり、青空になっていました。午前7時30分、東の空が赤く色付き、朝日が昇り始めていました。昨夜の雪で、一面銀世界です。湿った雪のためか木々に付いた雪は大きな塊になっていました。畑は、雪が溶けるまでしばらくお預けです。
画像4(朝日が昇る直前)

***** 渋滞していた道路 *****
 昨夜、雪の降る中を病院に送った家内と交代するために、今朝も病院に向かいました。我が家の傍の国道も雪で白くなっています。踏み固められた状態です。出発したのが通勤時間帯を後に少しずれた時刻でしたが、道路には、上下線ともに車がつながっていてノロノロ走り、停車しているのとの方が長かったです。家を出て、暫く進むと左手前方に、朝日に照らされた富士山が顔を見せます。手前にある山のおかげで、我が家からは富士山を見ることが出来ません。
画像1(富士山の顔)

 私の車の前を除雪作業車が走っていました。渋滞していなかったら、この作業車の後ろにつくことは避けたいものです。除雪作業が終わって戻るところのようでした。私の車の後続は、中年の女性の乗用車でした。こういう車には注意を払うようにしています。特に、病院へ行く道はと登り坂なので、車間距離を詰められると停車した後の発信には気を使います。雪道になれている方は車間距離を十分取って停車してくれるのですが、後ろの車は、平気で車間距離を詰めてきます。最初のうちは、ブレーキを軽く何回か連続して踏んで、停車することを後ろの車に知らせていましたが、効き目がありません。仕方がないので前の作業車との間をあけて一旦停止し、後ろの車が近づいてきて停止したのを見計らって、少し前に車を動かし、後続との盛ん距離を保つようにしました。
画像2(除雪作業車)

 富士見バイパスに入る三叉路で、後続の車と分かれたので、私の精神状態も安定しました。
 富士見バイパスに入ってから、しばらくは順調に進みましたが、カーナビが、「この先渋滞です」と知らせています。片側2車線なので、渋滞しているとすれば、雪で動かなくなった車が1車線塞いでいるのかと予想しました。病院に近づくに連れて渋滞が激しくなり、左側の車線から右側の車線に移る車が多くなってきました。病院の手前で左側車線に服で動けなくなったトラックがハザードランプを点滅して停車していました。トラックを避け、再び、左側の車線に戻ったところで、更に前に習志野ナンバーの車がありました。動けないのか、一時停車しているのか分からなかったので、後ろで止まってみました。この車も雪で立ち往生しているようだと分かったので、再度、右側車線に移り、習志野ナンバーの車を追い越して、左側の車線に戻りました。
 雪道を走行した経験のない車、特に、東京など都会の車には、このような状態になっているのを良くみかけます。若い頃、スキーに度々行きましたが、ノーマルタイヤで走ってきて、行けるところまで行って、走れなくなると、道路の真ん中で車を止めてチェーンを巻いているのは、必ず都会から来た車でした。他の車への配慮というものが感じられず、どういう神経をしているのかと思ったものです。今朝、立ち往生していた車も、もう少し手前で道路脇の空き地などに止まっていれた、この広いバイパスで渋滞など起きないのです。
画像3(富士見バイパスの車)
 結局、普段なら20数分で行ける病院に2時間かけて着きました。
***** 義父は個室に移りました *****
 昨夜から泊まり込んでいる家内にはバスと電車で帰るように伝えましたが、義父が個室に移れるようになったので、個室へ移るまで帰らないとのこと。昼頃には個室に移ることが出来るということでしたが、10時過ぎに準備ができ、義父は個室に入りました。付き添いが泊まることが出来るようにと4人部屋を使っていましたが、重病の方が入れ替わり立ち替わり入ってくるので、その度に、騒がしく、義父も私たちも不満でした。何度か看護士さんにお願いして、ようやく個室になりました。
 南側が窓で、富士山が義父のベッドから見ることが出来ます。
 家内は、天気が良くなったので、車で帰って行きました。30分ほどで無事着いたというメールが届きました。
 義父の容態は安定していて、時折、苦しそうにしますが、水を飲んだり、顔を拭かせたり、矢継ぎ早に要求が来ます。今日も顔を2度拭かされました。
 昼過ぎまで晴れていた空に黒い雲がたれ込め雪が舞い始めました。家内からのメールで、義妹が午後4時頃、病院に行くとのこと。今夜は義妹が、そのまま泊まり込むと云っているということでした。雪は、少しずつ振り方が激しくなってきていました。雪の様子を家内に伝えたところ、少し早めに義妹は出かけるとのことでした。
 義妹が病室に来たのは午後4時前でした。
画像5(個室になった病室)
 義妹が病室に入ってくる少し前に、病室のドアの隙間から中をのぞく人がいました。義妹が来たのかと思ったのですが、違いました。今回の入院で最初に入っていた病室の斜め前のベッドにいたおじいさんの義娘でした。これまでにも、何度も病室にやってきて義父の様子などを話しにやって来ていました。いつも午後4時前後にやって来て、おじいさんのところへ行く前に義父のところに来ます。何かと興味があるらしく、義父のストマや点滴などを見たり聞いたりして行きます。今日は肺って来るなり、「向こうの病室に行ったらベッドがなかったので、心配した」、「ナースステーションで聞いて、こちらの個室にいることを知った」など、ベッドがなかったので、心配したことは、そのまま聞けば良いことなのですが、義父が目を開けて聞いているところでの話としては、余りにも配慮に欠けると思います。午前中まで入っていた部屋に「ベッドが無かった」ことは、亡くなったことを意味しています。これまでに、何件か、そういう事態になった患者さんを見てきました。義父もそのことを知っています。義父の前では云って欲しくない言葉です。
 ナース巣チェーションで聞いてまでたずねてこなければならない間柄ではありません。何故、そこまでするのか分かりませんが、チョットお節介な感じがしています。
 今日は、最後まで愚痴っぽい話しになってしまいましたが、明日からの義父の付き添いをどういうローテーションで行うか迷っています。義妹が泊まり込みをしたことによって、家内は一時期でも楽になったと思いますが、明日の夜は誰が泊まり込むのか、明日の朝は誰が義妹と交代するのか。明日朝の路面が凍っている状態のところで家内を行かせるわけには行きません。これまでと同じように私が行けば、午後から夕方、夕方からの泊まりは家内か義妹になってしまいます。義妹の体力から2泊は無理だと思われます。家内が泊まるとなると、午後から夕方までを義妹が付き添うことになり、これも朝帰ってきて、午後出かけるという強行軍になります。そうなると、私が朝から夕方までを付きそうことになり、3人いるのに一日を2人で担当することになります。



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