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滞在2日目2010年06月03日 17時04分

 昨夜、叔母のところへ行って、葬儀の話をしてきました。
 叔 は感情を表に出すことが少ない性格なので、訃報を聞いても、落胆したり悲しがったりすることはありませんでした。
 山梨から義母の喪服一式を持ってきていたのでサイズが合うか確認しました。叔母は2年前の骨折以来、病院や福祉施設を転々としているので自宅に帰って衣類等を自分で見つけて持ってくることができません。
 叔母は義母と同じく小柄なので合うかと思ったのですが、叔母の方が小太りでサイズが合わないことがわかりました。今朝、私が実家へいって家捜しして叔母の喪服を見つけ、何とか間に合わせることができました。約2年間、タンスに入りっぱなしの衣類でしたので駄目かもしれないと心配でしたが、若干シミがあるものの恥ずかしくない格好をさせてやることができました。
 告別式の時間には少し早かったのですが、叔母の実家ですので11時過ぎにはケアハウスを出発しました。私は初めての行く場所なので道が不案内です。叔母は生まれ育ったところなので知っているかと安易に考えていましたら、自分の実家の近くにきてもよくわからないようでした。案内の張り紙で何とか到着できました。叔母の実家のあたりには子供の頃、ザリガニを取りに来たことがあります。その頃はずいぶん遠くまで来たなという印象でした。
 叔母は末っ子で、上にはお姉さんが大阪や名古屋に健在です。ただ、高齢でもあるので、その子供たちが来られていました。叔母は顔を見ただけでは誰だかわからず、大阪の姉の子供だとか言われてわかったようです。
 私自身は叔母のお供で行ったので、知っている方は全くいなくて、「叔母の夫の兄の子供」と自己紹介をしながら会話に入っていました。
 骨折をしてから足が不自由になっている叔母ですので、葬儀の間、座っていることができません。途中で、椅子に腰掛けさせて、出棺までいて帰ってきました。
 ケアハウスに戻って、叔母としばらく話をしていましたが、叔母の話は、同じことを何度も繰り返すので、少々、こちらもイライラしてきました。特に、お金のことをしつこく言うので困りました。今回のようなことがあるので、現金を持っていたいとしきりに言っていました。私の母も同じでしたが年を取ってくると、どうしてお金のことが心配になるのか理解できません。必要な経費はすべて通帳から引き落としにしてあり、月々の小遣い程度のお金があれば足りるのですが、数十万のお金が手元にないと不安だと言っていました。
 叔母との話を早々に切り上げて、使わない衣類等を実家に持って行きタンスの中に再び入れて、ご近所に挨拶をしてホテルに戻ってきました。