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久しぶりの山梨から京都へ2009年11月27日 19時38分

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 11月25日の夜に、実家の叔母方の甥のS氏から電話がありました。
 叔母が1年前から入所している介護施設からの連絡で、今月27日に退所しなければならないとの話でした。
 要介護2の認定を受けている叔母は、現在入っている施設で手術後のリハビリをして、補助具を使えば歩けるようになってきました。今後は、同じ場所にある「軽費老人施設」への入所になる手はずになっているとのことでした。
 ところが、新しい施設に入所できるのは11月30日からで、その間3日間は叔母を引き取ってもらいたいという、ケアマネージャーから云われたということでした。
 S氏からは、3日間の対処方法として、叔母を
   (1) 実家に戻して、本人自身で生活させる。
   (2) S氏の家に行く。
   (3) ykitaが世話をする。
   (4) 旅館に泊まらせる。
の4つの方法が考えられるが、どうしたらよいかと云う相談でした。
 (1)は、実家で、叔母一人で3日間生活させることは心配が多いこと。それに叔母が骨折して家を離れてから1年8ケ月経っているため、住めるようにするには室内の清掃など準備は必要であり、その時間が無いことなどで×。
 私は近くに住んでいるS氏宅で預かって貰うのが最良と考えていました。私の意を感じられたのか、S氏から(2)の対処は、子供の家族4人が仕事の関係で実家に戻ってきていて家が手狭になっているので叔母を泊めることは無理であると、先に云われてしまいました。
 (3)の方法は、27日に迎えに行って、30日の午前中に、山梨から京都へ連れ戻すことになり、到底出来る相談ではありません。
 結局、(4)の旅館か、ホテルに入れることしかできないだろうという結論になりました。
 その夜、S氏の方で市内の旅館を探してくれましたが、なかなか見つからないとの連絡があり、ビジネスホテルでも仕方がないかと考えていました。
 翌26日、1軒、泊めてくれるところが見つかったとの報告がS氏からありました。
 S氏に任せっきりでも申し訳ないので、27日夕方から29日午前中までをykitaが、29日昼から30日午前中までをS氏が、叔母と同宿して面倒を看ることになりました。

 
画像1(小西屋のモミジ)
宿泊した旅館のモミジ


 27日午後4時までに叔母を退所させるため、午後3時までには施設に到着しなければなりません。前泊すれば時間的には楽ですが、27日当日早朝に出かけることにしました。
 家内は実家に泊まって義父母の世話をしているため、出発の朝は一人で準備をして出かけることになりました。山梨の自宅を出たのは午前6時30分。中央道も、名神高速道も、比較的順調に進み、京都市街を抜けるのもスムーズに行きましたので、予定よりも早く到着することが出来ました。
 山梨を出るときは8℃くらいの気温でしたが、西に向かって進むに従って気温が上がり18℃にもなっていました。天気も良く、暖かだったので、晩秋の山々を眺めながらのドライブでした。
 S氏とは午後3時30分の待ち合わせだったのですが、4時近くになって来られました。
 早速、叔母の荷物を車に載せ、旅館へ向かおうとしたのですが、30日から入所予定の施設での生活について、相談したいことがあると、ケアマネージャーさんに云われ、私とS氏の奥様と二人で話を聞くことになりました。S氏と叔母は車の中で待っていることにしました。ケアマネージャーの方に情報が不足している様子で、担当と連絡を取って確認をしたりするのに時間がかかっていました。しびれを切らしたS氏が相談をしている部屋に入ってきて、”相談は30日の入所するときにとの予定で、今日、相談するとは約束していない。旅館に入るのが遅くなるとキャンセルかと思われてしまう。”と、少し強い口調で伝えていました。警察官だったS氏ですので、ストレートに話をされることが多いように感じていましたが、この様子を見ていて納得できるところがありました。
 ケアマネージャーさんもS氏の剣幕に圧倒されたようで、早々に話を切り上げ、私たちは2台の車で旅館へ向かうことになりました。
 旅館は私が高校まで住んでいた家の近くで、中学、高校のときにこの旅館の前を毎日通っていました。旅館の女将さんに聞くと、この旅館は100年経っているそうです。旅館の周囲の家並みは変わってしまいましたが、この旅館だけは昔のままでした。
 案内された部屋は2階の2間続きの部屋で、私が通った道に面していました。道路の向かい側の家が、この旅館の隣にあるほど近くに見えて、あまりにも道幅が狭くて、子供の頃に感じていた道のイメージとは大きく異なっていました。
 S氏夫妻が帰り、叔母と二人で夕食を食べました。お膳を下げに女将さんが部屋に入ってきたので、子供の頃の話などをしていたら、女将さんが同級生であることが分かりました。小中高と学校も同じであるのに、現在、お互いに思い出せなくて歯がゆく感じましたが、他の同級生の消息を聞いたり、当時の学校での出来事などを話題に、叔母が傍にいるのも忘れて話をしていました。
 昔の話を思い出したり、それを話題に話をしたりすることは、何となく年寄りくさい感じがして、自分では、そんな風にはなりたくないと思っていました。過ぎ去ってしまったことより、これからのことを考えたり、話をする方が大事なことではないかという思いがあって、同窓会、同級会などには今まで出席したことがありません。
 今回、偶然にも泊まった旅館で同級生に出会い、時間を忘れて話に夢中になっている自分が不思議でした。同世代、中でも同じ年齢の者で、同じ町や村で育ったというだけなのですが、それ以外の人々には理解しがたい何かがあるのかも知れません。動物の帰巣本能に近いもののようにも思えます。



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